緊張で、ドキがムネムネなっちゃうよ〜♪ (アデランスCMアルシンドになっちゃうよ♪より)

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お久しぶりです。佐野です。

まずは、動画をお楽しみください。

先週〜現在は、問い合わせ架電の初期対応&見込み無しになった過去問いの掘り起こし架電をしまくっていました。

 

先週は運も良く即入を取れていたのですが、今週は今日一件入会と明日クローズの勝負をかける以外、からっきしダメでした。

電話がマジで繋がらないストレスや変な無念さ、あと約束していたのに破られる悲しみ等、先生方が普段負っているモノをどっぷり体験できて非常に勉強になります。


自分の架電をマジで改善して、よく分からない心に巣食う見えない敵(すぐに落ち着きがなくなる自身の心)を倒してやろうと想いを新たにしています。

 

そんな風に気持ちを立て直していかないと、

「もうすぐ、アルシンドになっちゃうヨ〜。」

と昭和〜平成にかけて忘れ去られた僕の中のアルシンドに指摘されてしまいます。

(※30代後半以上の先生以外知らないかもしれませんが、この際そんなことは関係ありません)

 

当時、薄毛の中年男性をハゲます一大スターであったアルシンド

顧客との接点や営業行為の苦しみに対して、

会社は、ちゃんと「アルシンド」出来ているのか....!?

そんな問いが立ち、思い立ったが吉日。

即、自分の架電を録音し始めてみました。

 

そこで、思いついたのが問合せ架電のダイジェスト放送社内Youtube

【企画のWhat?】

まずは、僕を中心にご協力いただける先生から、架電内容をiPadで録音(スピーカーホンで)していきます。それを僕に送って頂き、動画化する。簡単に言えばたったそれだけです。

 

【企画の仮説】

学年・時期・シーン別の架電パターンがアーカイブされれば、何か架電が上手くいかない時に「ふと、聞いてみる」ことで活路が見出せるかもしれない!?のではないか???

 

【企画の効果】

架電wikiのような存在まで作り込められれば...などと考えるとゾクゾク興奮します。
架電がうまくいかない時に一人一人の先生方の心強い味方になる可能性を秘めていると思っています。

イメージはこんな感じ。

 

さて、そんな僕の過去問い掘り起こし架電はと言えば.....。

非常に鈍臭く、あのーとか、えーとか、入りまくります。

しかしだね、

必要情報をヒアリングしていく上で、相手への敬意と、一緒にお子様の学習状況をより良くしたい!という想いが伝われば、まずはOKじゃね???と思っています。

過去問いの掘り起こしは、顔も知らない相手で、しかも一度資料のみでシカトされ続けている相手なので、2つくらい職層が上の苦手な先輩上司に怒られないように電話する気持ちになります。

 

プルプルプル〜♪と繋がる前の電話の音から、いつ相手の第一声が始まるのか。
繋がるの!?
繋がらないの!?
留守電に切り替わった瞬間のドキドキは本当に嫌なモノです。

緊張で動悸がしますよね。

「ドキがムネムネなっちゃうよ〜」


詳細に関しては、動画のアップをお楽しみください。

下手で、泥臭い架電内容になっていると思います。

でも、絶対次の段階に結びつけるんだ!という気持ちは感じてもらえると思います。

 

大切なのは感情のファンダメンタル

そんな想いに名前をつけるとしたら、「感情のファンダメンタル」とでも言うのかな。

我々が営業テクニック以上に大事にしなければならないのは、
自分が傷つくかどうか以上に、
塾人として、地域の子供たちの学習を支える職業人として、
①子供の成績向上の実現に向けて全身全霊で熱く温かく居ること。

そして、
②その入り口に立たせてあげるための営業行為において、「絶対に次のステップに進めるんだ!」という強い意志を、架電や面談の前に準備して挑むことだと思います。
(問合せ対応マインドセット

もちろん、ヒアリングする内容の順序や、保護者に伝える内容の質など、冷静に準備し、臨機応変に対応する力は求められますが...。

大切なのは「冷静と情熱のあいだ

 

「そんな、緊張感極まる架電の前には、

社員同士が支え合えるコンテンツがあったってぇいいじゃぁねぇか!」

僕の中の江戸町奉行遠山金四郎景元こと「遠山の金さん」が遠くで叫びます。

 

そして、最後にしつこいですが、

アルシンドは教えてくれます。

「トモダチナラアタリマエ〜♪」

 

私たちは、決して友達ではありませんが、

1日8時間以上働く現代日本において、紛れもなく人生を共にする仲間であります。

 

「互いが互いを支え、時に刺激を与え合えるような場」

「時に苦しい営業行為をみんなで乗り切ろう!なんて思える場」

「そうすれば、あとは生徒との楽しい授業が待ってるぜ!なんて思える状況」

 

そんなプラットフォームにしていきましょう。

 

僕もドキドキしながら、
傷つきながら、
一生懸命電話し続けます。

先生方の架電、録音させてください!

よろしくお願いします!

授業するってなんて楽なんだ。

いきなり、すいません。とても不謹慎なワードをタイトルに書きました。
実は先日本当に心の奥底からこのワードがふと頭をよぎりました。

 

僕のキャリアについては前のブログを読んでいただければと思いますが、僕が個別教室長をするのは、実はまだ立志での3年のキャリアをいれて6年くらいです。立志で個別教室長4年目になり、ようやっと自分のなかで個別の教室運営のコツといいますが、ポイントが見えてきたと感じています。

そのコツは、「いかに準備をして当日を迎えるか。」です。これは1日単位でも週単位でも月単位でも個別は、いかに計画通りやるかだと思っています。


ここ数年、年間行事が決まり、それに付随する業務のリマインドがかかるようになってとても助かっています。この場をお借りして総務チームの皆さん本当にありがとうございます。皆さんがリマインドをかけてくださるおかげで業務が漏れていてもリカバーできています。同じようなことで、僕が大事にしていることは、「戦略、戦術、戦闘」という言葉です。

戦略は、文字通り何をするかのwhatの部分です。複数の選択肢の何をするのかという意味ですね。何をするかが決まると、どうやるのかが戦術です。ここは今年の総会でも出てきたHOWの追求と同じで意味です。最後に戦闘(DO)です。

ここで大事なことは、戦略のミスは、下位概念の戦術、戦闘ではリカバー出来ない。という点です。語弊があると困るのですが、決して戦術や戦闘を蔑ろにしてもいいという意味ではありません。三位一体であることは大前提です。

このことから、個別の教室運営の場面でみると僕は「WHEN」が本当に大事だなと思っています。150名以上いると施策が1週間ずれたらもう致命的なんてことはよくある話で、例えば講習会面談のアポが遅れた瞬間に7月末までの計画が大崩れ・・・なんてことになり、面談が遅れることにより回収が遅れ、回収が遅れることにより時間割調整が遅れ、面談が遅れることで新規対応が出来る枠がへることで取り逃しなんてことが起こります。

そんなことがあるので、授業よりは5時までにSK表点検、悟空チェック、配布物チェック、講師への引継ぎ確認、社員との情報共有の時間を大事にして教室全体での抜け・漏れを最小化する取り組みで属人的な業務運営の脱却を目指しています。


その準備に比べると既に技能としてある程度の域に達している授業は本当に楽なんですね。生徒の未定着概念の確認と指導、未習単元の説明などは全て今までの焼きまわしなので極端な話を言えば、脳のメモリーはほぼ使いません。なので、最近は授業時間は売上が経つ時間ではありますが、教室長としては最も生産性の低い時間だと思っています。とはいえ、授業がまだだま減らないのは属人的な証拠なので自分も日々精進してこの状況を脱却していきます。

 

最近、いろんな先生に相談もして助けていただいています。苦手なスケジュール管理は河田先生、FDB関連では吉岡先生、モノグサ関連は川瀬先生やブックの共有をしていただいている濱上先生、小学生の対応でいつも明るい雰囲気で生徒に接してくださる森口経理、事務的な足回りを助けてくださる森木先生、高校数学の授業を担って僕のコマを減らしてくれている綱先生ありがとうございます。また今後ともよろしくお願いします。

 

給料は誰から頂いているのか?

皆さんはこの答えはなんと答えますか?
ちょっと行間を空けるので答えを持ってからスクロールしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の答えは、「お客さま」です。
おそらく、社長や会社と思った方がいたかもしれません。
違います。お客様です。1件1件のご家庭が支払ってくださる月謝で我々は生きているのです。では今、この話を冒頭にした理由を書いていきたいと思います。

 

塾講師は自分の承認欲求を何よりも簡単に満たせる職業だと考えています。
何を隠そう、僕もその1人でした。この仕事を生業にしようと思ったきっかけが生徒からの強烈な承認でした。春名先生がまだ高校生で数学を担当しているクラスの福岡くんに言われた言葉です。当時は年齢差もさほどなく、生徒達も人懐っこいいい奴ばかりだったので、彼らが大学2年になるくらいまではお盆や正月は集まって飲み会をしていました。2次会のボーリング会場にいく車の中で、福岡君から「先生には感謝している。受験生のときにいつも声をかけてくれて、先生がいてくれて頑張れた。」と言われたときに車の助手席で人目もはばからず大声で泣きました記憶が今でも鮮明に残っています。私は自己肯定感が低めなので、この福岡くんの「ありがとう」は本当に嬉しかった。そしてそんな「ありがとう」をもらえるこの仕事は最高だという思い、職業社会人をスタートしました。

 

時は経ち、200名規模の教室長になってから「沖汐塾」と揶揄する生徒もいて自分の能力に酔っていました。「生徒には自分がいないとダメだ。」って本気で思っていました。ところが、塾の指導構造の転換で映像授業主体になり、自分が関わる領域が減っても生徒の成績はメキメキ伸びるんです。アルバイトの先生たちが進捗管理しながら、生徒は映像授業だけで立派に伸びていく姿をみて本当に自分を恥じました。頑張っているのは生徒であって自分ではない。自分は、生徒が頑張り続けるための数ある要素の中の1つに過ぎないと。

 

私が社会人1年目に口酸っぱく「先生と呼ばれる立場はうぬぼれやすいから、とにかく謙虚たれ。頭を下げろ。」と言われました。生徒からの承認に酔っている人がいたら、是非『事実』を見ましょう。

その生徒の成績を上げられていますか?

その生徒の志望する学校へ合格させてあげられていますか? 

今年度を本格的にスタートをきるタイミングで一度自分を見つめてみてください。そしてちょっとでも後ろめたいことがあれば是非その自分を乗り越えましょう。我々の成長なくして、生徒の成長なし。生徒数の増加もありません。

 

明後日は総会です。新年度の方針がまた発表されます。外的環境、内的環境に合わせて変化に対応していきましょう。

 

何度も言います。我々の給与はお客様から頂いているのです。お客様からが減るのはライバルに取られているだけです。仕事の仕方が良くないだけです。変えましょう。変わりましょう。そして地域の1人でも多くのお客様の指示を集めましょう。

 

春期講習が明けて幹部として自戒も込めて思うことでした。

奥の深い所作の効果

人は見た目が9割!?

前々回は授業者が指示を通すときに必要なこと(指示が通るまで待つ)をお伝えしました。今回は授業者が指示した内容がより伝わりやすくなるための所作についてまとめたいと思います。

 

人は見た目が9割」という本が以前話題になりましたがこれは「メラビアンの法則」と言われるものです。

メラビアンの法則とは、コミュニケーションにおいて人が受け取るメッセージは、言語情報が7%、聴覚情報が38%、視覚情報が55%というものです。

ただ、巷では「人が何かを伝えるときに、話の内容はほとんど意味がなく見た目などで判断されやすい。」と認識されているようですが、実際は「何かの感情を伝える際に受け手が判断するための情報として、非言語領域の情報(視覚・聴覚情報)で感情を判断している。」ということらしいです。つまり、話し手が「楽しい」内容(言語領域)を話していても、険しい表情で腕組みをしていたりすると、相手は話し手の内容よりも表情やジェスチャー(非言語領域)で話し手は内容を理解する(この場合だと怒っていると捉えられやすい)ということです。なので授業者は板書や分かりやすい説明はもちろんのこと、伝えたい内容がより伝わるための所作も必要なのです。

 

声を構成する四要素

声といってもジャイアンのような野太く低い声もあれば、おしりかじり虫の声優で有名な金田朋子さんのように甲高い声もあったりと多種多様にある声は五つの要素に分解できます。

声量

声量=声の大きさです、声量の基本は教室の大きさに合わせることです。例えば大学の講義室のような大部屋において、小声でしゃべったりすると聞き洩らしたり、聞くことに集中しすぎて内容が入ってきにくかったりします。またその逆も然りで小さい部屋で大音量で話をするとストレスがかかって内容の理解に脳のメモリが使われにくくなります。
ということで最適な声量とは、教室の一番遠い生徒が聞くことに対してストレスのかからない程度にすることです。

音域

声の高さのことです。一般的に音域の高い音は聞こえやすく、逆に音域が低い場合は聞こえにくいです。この性質を利用すると、前回のブログで「指示が通るまで待つ。」と言いましたが、より早く生徒をさっと前を向かせたかったら「大きく、手を1回たたく。」は効果的です。「パン」と叩く破裂音は音域が高いので生徒達には聞きとりやすいので集中していても気が付くことが多いです。

ペース

話す速度のことです。僕の授業はよく生徒から「速い」と言われます。
これは筋トレと同じ原理で、筋トレの場合は筋繊維を断裂させることで、次に同じ負荷でも筋繊維が切れないように筋繊維が太くなる現象(超回復)を利用して筋肉量が増加します。授業内でも同じで、生徒全員が聞きやすいように配慮することは実は場の雰囲気は緩んだ状態になりやすく生徒の集中度も低くなりがちです。生徒が緊張感をもって授業に集中させるためには、ある程度負荷がかかる程度のペースで話をしましょう。こうすることで生徒が聞き洩らさないようにと集中度があがり、授業にも緊張感が生まれます。ただし、運動会等の学校行事で疲れ果てた状態で授業に来ている生徒が多い場合は、早いペースで話をしてもついてこれないのであえてゆっくりと話をしてました。このように場の緩急には話すペースが大きく影響しているのです。

抑揚

最後に抑揚です。法事のときのお坊さんのお経の読み方が例としては分かりやすいと思います。導入部分は抑揚がなく淡々と進んでいきますが、山場になると一気に音読ペースを遅くして声量も大きく抑揚をつけて読まれますよね?こうすることの一番の効果は、ポイントが明確になることです。話者が一番伝えたいところでは意図的に抑揚をつけてしゃべると生徒達にも伝わりやすいです。

ジェスチャーは大げさにやることに意味がある。

コロナ禍でマスク生活も2年が経とうとしていますが、マスクを日常的につけることになって授業者として失った一番大きい武器は、「表情」です。授業者側の立場で言えば、生徒の表情が見えないことで生徒の心理状態を把握しにくくなりました。生徒側の立場で言えば、先生の声はもちろん、表情が伝える感情が拾いにくくなり、授業内における説明の濃淡が感じ取りにくくなっているのです。そういう環境だからこそ、ジェスチャーは表情を補う最適な手段なので、以下紹介する内容を参考にしてみてください。

手振り

私がイメージするのはオーケストラの指揮者の手振りです。手を伸ばすことで生徒の注意は引くことができますし、手を伸ばしたまま移動すれば板書の視線誘導もできます。また、発問した生徒が正解した際には褒めの言葉とともに親指を立ててあげるとより褒めの演出もできます。説明を一通りし終わったタイミングで大きく手を広げると、「みんなわかった?」と言葉を発することなく生徒に発問した状態になります。このように多用な場面で使えるのでやってみてください。手振りを使うときのコツは大げさにやることです。ここはボンジョビ大好きアメリカン牧先生の独壇場ですが牧先生はこの手振りはとてもわかりやすいです。日本人は基本はシャイなので皆さんがやっているレベルでは案外動作は小さいので気持ち大袈裟にやるとちょうどよい感じになります。歌舞伎や演劇の俳優が大げさにするのと同じ理屈です。

目配せ

目配せが効果的かどうかの判断ポイントは、生徒と何回目を合わせたかです。
是非、先生2人ペアでやってみてほしいのですが、2人向かい合わせで座ります。そのうえで聞き手の先生は目を合わせない、もしくは顔を横に向いた状態で話を聞いてみてください。次に、目を見て話しを聞いてみてください。目を合わせることで「自分に話をされている。」気持ちになりませんか?このようにポイント説明の際に生徒と「目を合わせる。」ように全体に視線を右から左へ、奥から手前に流しながら説明します。コンマ何秒生徒の方に顔が向いて目を合わせることで生徒達が受け身ではなく主体的に授業に参加せざる得ない環境になります。

動き

授業中に先生方はどんなことを意識して動いていますか?
私が意図的に行う動きとしては視線誘導のためです。例えば数学の解説の際にまずはポイントをおさらいしたい場合は、ポイントの板書部分に立ちポイントの説明をしつつ、解説のある場所まで説明をしながら移動します。まるでバスガイドさんのように手の動きも入れながら動くことで生徒たちの視線を一緒に動かすために自分が動いていました。また、よく説明しながら前後に時々動くこともありました。これは、教室の後ろの席は緊張感が薄くなりがちなので授業者自身が近づいていくことで緊張感を高める効果があります。このように動くだけでも生徒たちに緊張感を生むことができます。

動作×声 = ステータス

実は、この動作や声といった所作全般を私はステータスと呼んでいます。ステータス(社会的地位、身分)によって人の印象が大きく変わるのはご存じですか?このステータスを上げ下げするコツがあるので最後に紹介します。身分の高い印象を与えたい場合のコツは、①動作はゆっくり、大きく、②話すスピードはゆっくり、③姿勢は胸を張る です。逆に身分の低い印象(小者感)を与えたい場合のコツは、①動作は早く、小さく②話すスピードは早く、③姿勢は前かがみ。にすればいいのです。授業にはさまざまな場面があります。式典のような厳かな緊張感の雰囲気のときもあれば、吉本新喜劇のような楽しくポップな雰囲気のときもあります。そのすべては生徒に効果的に授業内容を伝えるための舞台装置です。集団授業の先生方は欠席者対応のために授業を録画されていると聞いています。是非、他の先生方と一緒に自分の授業を映像で確認してみてください。自分が認識していることと他者の認識を確認し、自分と他者の間にある認識のズレが減ると生徒からの授業の評価はさらに高まりますし、生徒の学習効果もあがります。

 

いよいよ来週から春期講習です。新しい出会いの時期です。いつも以上に声量大きめ、動作大きめ、アゲアゲテンション↑↑で元気で明るい印象を持ってもらって1人でも多くの外部生を入会に持っていきましょう。

 

講習会に突入しますので暫しブログはお休みさせていただきます。次回の更新は4月9日(土)を予定しています。内容は、生徒指導をテーマに書きます。

 

 

上司の“エンドウマメ”が実ったよ!

今回は私が幹部(上司)を務めさせていただいている上で気を付けていることを紹介します。というのも、いつも毎回ブログの冒頭部分はちょっとしたエピソードなどを入れてから本題に入るようにしていたのですが、4000字を超えるボリュームになってしまったので2つの記事として分けて書くことにします。

 

さて、タイトルの“エン・ドウ・マメ”は、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)と同じ略語になります。

エンドウマメの”エン”は「遠慮させない。」

突然ですが、皆さんの沖汐への第一印象はどうでしたか?
よく言われるのは、「怖い」「目が笑ってない」「厳しい」などネガティブなものが多いです。先日も西村先生と電話で話の中で「沖汐先生はめちゃくちゃ怖いと思ってました。」と言われてしまい猛省しました。(西村先生、決して君は悪くないのであしからず。そして素直に口にしてくれたことは感謝してます!)部下もいない若手の頃はそれでも良かったのですし、何なら「マイナスからのスタートだから何してもプラスだぜ!」ってポジティブに捉えていた時期もありました。
しかし、20数名部下を抱える今はとっても、とってもマズイなと思っています。

なぜなら、生徒やお客様の情報は現場の先生が一番知っています。対して職責があがるほど持っている現場の情報は少なくなります。これは同じ教室で仕事をしていないのもありますし、マネージャーに徹するようになると現場を持たないので、情報量に差ができるのは自然なことです。ただ、この現場の情報をいかに鮮度を保った状態で加工されずに上げてもらえるかによって上司が下す判断の精度に大きく影響します。職責上位の人ほど影響を及ぼす範囲は広くなるので1つの判断ミスが莫大な損失になるので、上司はヒヤヒヤしながら日々判断しているのです。

そんな大きな損失を生まないためにも、部下の人が気軽にリラックスした状態で報告や相談ができる関係性づくりは上司として大事な要素の1つだと考えています。これは代表から学びましたが、ミスしたことで代表から感情的に叱られたことは1度もありません。どんなミスでも2回しないように気を付けるよう注意をされますが、感情的に叱られないことがどれほど精神的に救われるかと僕自身も体感したので、実践できるように心がけています。

 

エンドウマメの”ドウ”は「最近どう?」

質問にはイエス・ノーの2択で答えられる「クローズドクエスチョン」と、答えられない「オープンクエスチョン」の2つがあります。もちろん「最近どう?」はオープンクエスチョンです。オープンクエスチョンにしているのには意図があります。以前栗田愛先生に、「一緒の教室で働いていれば沖汐先生の状況がリアルタイムで分かるので、隙間時間を見計らって確認や相談しやすですけど、一緒の教室で働いていない先生はそこが分かりにくいので聞きたいことがあっても聞きにくいと思いますよ。」と言われたことがありました。確かにそうだと思い、部下の人が言いやすいようにこちらから聞くようにして部下の人から話やすいような構造にしているのです。また、オープンクエスチョンにすること特に問題を抱えてない時は何も出てきませんが、何か聞きたいことがときには、「沖汐先生、実は〇〇で相談があります。」「これはどうしたらいいですか?」といった相談や確認をしてくださる人が増えてきました。

 

エンドウマメの”マメ”は「マメに連絡する。」

最後の「マメに連絡する。」は、一般的にはザイオンス効果とよばれるものです。

ザイオンス効果とは、相手に何度も繰り返し接触することによって、だんだん好感度や評価などが高まっていくという効果です。

さきほどの「最近どう?」だけでは実は問題があります。部下と上司の関係性が悪い状態をイメージしてみてください。そもそものコミュニケーションをとる前提となる関係が悪ければ上司側が「最近どう?」と聞いてきても「特に。」「何もありません。」ってなります。このコミュニケーションの土台作りのためには回数を重ねる必要があるのです。

これは教室運営においては、退会しそうな生徒に対してコミュニケーションの回数をとるといいです。関係性が悪いと認識しているご家庭に何度もコミルや架電などで接触をするのはかなり気合がいると思いますが、そこを乗り越えてやってみてください。保護者の感情がおもしろいほど裏返ります。駅前教室でも過去にドクレームをもらったご家庭が2件ありますが、この法則に則って接触回数は意図的に上げています。そうすると保護者の方の僕への態度も180度変わりましたし、お願いしたこと(例えば期日内に講習の申込書を提出する。)が驚くほど改善しす

僕はなんでも現場で起こっていることと組織内で起こっていることは相似形だと思っています。なので何か問題を抱えていたり、課題解決に伴走する部下の方には意図的にコミュニケーションの回数を増やしています。そうすることで、関わられている部下の方との関係性がより良くなって、質の高い情報があがるようになり、成果の最大化につながります。ただし、ある特定の人にコミュニケーションが集中しすぎることは派閥を生んだり差別につながるので、コミュニケーションをとる回数は最低限担保されるように定期的に接触回数はメモしてバラつきを見るようにしています。

 

こういう気持ちが通じてか、先日藤村先生が僕の意図を汲んでくださっていることが分かる話をしてくださったので紹介させてください。

私は沖汐先生に電話すると、「藤村さんはよく連絡してくれる方だ」と言われます。
自分では、そんなに頻繁にしているという自覚がなかったので、他の皆さんはそんなにしないもんなのか、、、再々連絡してすみません、と思うのですが、そういうと沖汐先生は「いやいや、言ってきてくれる方が有難いんだ」と毎度おっしゃられます。
忙しいかな、、、という気遣いはもちろんみなさんあるかと思いますし、必要なことではあります。ですが、以前に「忙しかなと思って相談しないのはなしで」とおっしゃっておられましたし、どうなんだろうと思うことを確認せずに進めることで、後々余計な面倒をかけることになるともっと嫌なので、「自分だけでは判断できないな」とか、「こうしようと思うけど大丈夫かな」と思うことは確認、相談するようにしています。
あとは報連相不足で去年に失敗したことがあったのも、大きいかなと思います。
沖汐先生のほうから教室に「何か困ってることないか?」と聞き取りをしてくれた時期もあり、それで相談しやすくなったのかと思います。
自分はわりと細かいことが気になる方なので、そんなことも?ということも聞いているかもしれませんが、はっきりOK・NGもらえることで、モヤモヤが晴れます。
いろいろ気にかかること、気にかけるべきことが多いので、一つでも気がかりが解決すると気持ち楽に仕事に向かえます。

これは、本当にありがたかった。何がありがたかったかというと、1つは自分が意図していることが通じているということ。2つめは直接数字にはなりませんが、教室の成果を出すうえで教室長が働きやすい環境づくりに貢献できていると思えたからです。今いる20数名の部下の方が全員同じようにされると僕は本当にどうなるか分かりませんが、マネージャー候補の人が将来的に分散して担ってくださるので安心しています。

実はみんな上司ですよ。

今回初めて幹部の立場から思っていることを初めて書きましたが皆さんはどう感じられましたか?社内でトラブルが起きたり、成果の出ない時は、上司と部下の相互理解がなくコミュニケーション不全が起こっているときが多かったりします。なので上司側の役割や立場・考えをブログに書き起こし、見ていただくことで社員間の相互理解が深まり、コミュニケーションが円滑になっていく先に、大きな大きな成果につながればいいなという思いで書いてみました。僕は幹部の立場で部門単位で書きましたが、実は教室単位でも同じことです。教室長・社員の皆さんは講師の”上司”です。現場の”上司”として是非一度「エンドウマメ」試してみてください。講師の方とのコミュニケーションが円滑に進むことで教室長が理想とする教室運営の実現する時期がきっと早くなるはずです。3月から栗田愛先生は氷上教室に赴任され、今は綱先生と2人で福知山教室を回しています。講師の人から「栗田先生が抜けたからダメになった。」と言われたくはないですし、より良い教室づくりのために講師の人にコミュニケーションを積極的に取っている最中です。3月の学校課題進捗率が悪かったのは講師の人との連動制が悪った結果だと思っています。今は出来ていないですが、半年後には講師の人と一緒に作ったKPI指標が高水準で維持できる教室でありたいと思い、日々必死のパッチです!

1人1人の必死のパッチがコロナ禍で停滞している問合せ数を1件でも多く起こせる、1件でも入会者数が増える、1人でも高1継続者が増える、1人でも退会者が減る原動力となると信じてやまない今日この頃です。塾の大きな山場のこの募集期もいよいよ3月突入です!気合を入れて4月末まで一緒に走り切りましょう!!!

 

近日中に授業者の立ち振る舞いについての記事もアップしますのでしばしお待ちください。

指示を通すって実は難しい。

ブログ継続宣言から約2か月弱、書くネタをずっと気にして生活しているせいか日々のちょっとしたことに対しての気づきが増えてきました。その中でも今回は、三現主義(現場・現実・現物)って大事だなと改めて思い知らされたことをご紹介します。

 

3学期から個別部門では有志の勉強会をしています。ご存じない方もいると思うので概要を簡単に説明すると、毎週金曜日の11:30-12:30の1時間、福知山市在住の先生は駅前教室に集まり、福知山教室以外の先生はzoomでつないで各自のHRbrainの能力開発で定めた目標に向かって勉強をしています。

 

先日、その勉強で岡村先生が数学ⅡBの問題集「基礎問題精講」を解いているのを何気なく見ていました。彼は、①問題をノートに解く、②丸を付けていました。ここまでは他の生徒でも見る同じ光景ですが、この次のアクションが僕にとっては衝撃的でした。岡村先生は丸付けを終えるとおもむろに赤ペンから鉛筆に持ち替えて次の問題を解くと思いきや、丸をつけた問題の解説部分を鉛筆で1文、1文丁寧になぞりながら読み込んでいるのです。僕は思わず彼に「何しているの?」と聞くと、「自分の書いた解法や考え方が合っているのか最終確認をしている。」とのことでした。問題が合っているかどうかの確認のレベルにとどまらず、解き方や考え方まで合っているかどうかを確認する彼の徹底ぶりに驚くとともに、自分が生徒に対して指導が不徹底だと感じました。生徒の自習しているときにこの観点も入れて、作業で問題をこなしている生徒がいたら是非させてみようと思います。岡村先生気づきの機会を与えてくれてありがとうございます!

 

このように、普段会わない先生との交流は自分との差異に気付くことができ、勉強にもなります。事象としてはちょっとしたことかもしれませんが、現場・現物・現実を自分の目で見ることの重要性を再確認した一日でした。

 

また、1学期は河田先生と2人で始めた勉強会を今は5名~6名で行うようになったことで変わったことは、佐野名言集より引用すると

「2人は関係、3人以上になると環境」

 

という言葉の効果をひしひしと感じています。2人で始めたときの勉強会の序盤は何回も「勉強をせんとお茶しにいこう。」「今日はしんどいから止めよう。」と口にしそうになりながら勉強していました。それが今では勉強会の日時はスケジュール化され、時間を取るのが苦しくもなく勉強しようという気持ちでやれています。能力開発の勉強がおもうように進まない先生がいらっしゃったら、自分の「気持ち」で勝負せずこの「環境」を利用して勉強してみるのはいかがでしょう?自主的な取り組みですので部門関係なくお待ちしてまーす。

 

「所作」も大事だけど、それよりも大事なものがある。

さて、今日のテーマは、「授業者の所作」についてです。このテーマから連想されるのは「話し方」「声の大きさ」「身振り・手振り」「視線の送り方」など動作に関することではないでしょうか?今回はこれら動作に関することよりも重要なことを1つご紹介します。また、今回紹介する内容は誰でも簡単にできるシンプルで効果性が高いことですので最後まで読んで試してみてください。

 

集団授業に限らず保護者会や社内会議など、感覚的には7名以上の人を相手に授業者やリーダーが場をコントロールできている状況・状態にするために気を付けるべきポイントは、「指示したことを全員ができるまで待つ。」ことです。「えっ?そんなこと?」って思う方は多いと思いますが、「全員」という部分がかなり重要で唯一の要素です

 

例えば、集団指導でよくある場面を元に説明します。集団指導の先生はイメージしてみてください。

授業の一場面で、先生は例題を説明して生徒に演習をさせています。過半数の生徒が解き終わった状態を確認した先生は例題の説明を行うために「では解説をするので前を向いて。」と言います。その時に何名かの生徒が夢中になって問題を解き続けていたり、単純にぼーっとしていて指示を聞き洩らす生徒は必ず一定数います。このときにこういった生徒を見逃し、先生は次の例題の説明を始めたとしましょう。そのとたん、この授業はとても混沌とした状態になります。混沌とした状態とは、次の例題を説明しているときに起こります。

1つ目は、指示が守れていなかった生徒は、説明を聞くタイミングが他の生徒に比べ遅れるので次の例題の説明を一部聞きそびれてしまい、先生の説明内容の理解がしにくい状態になってしまいます。結果、説明の途中や終盤くらいになると生徒から「先生、よくわからないのでもう一度説明して!」と声を上げる生徒や演習中に手が止まっていてもう一度説明を生徒1人1人にする羽目になります。

2つ目は、指導者が指示が守れていない生徒を見逃すことで生徒側に対して「指示を聞かなくてもよい。」ということがこの集団における暗黙のルールになります。そうなると先生が生徒に対しての指示が通りにくくなります。最初は小さいことですがこの状態が何回も続くと、結果的には成績を効果的に伸ばせない雰囲気・環境が出来上がります。

 

個別指導においても同様のことが言えます。私が個別の教室巡回をするときに教室の規範レベルを測る1つの目安にしているのが、「始礼」です。始礼とは、毎授業の初めの時間を使って、ブースの先頭に立った社員または講師があいさつやその日に伝えたい内容を話す業務のことです。この始礼の主な流れとしては、①開始のあいさつ・②連絡事項・③授業開始の挨拶の3つになります。また「始礼」の目的は、(1)休憩時間と授業時間の気持ちの切り替えを生徒に促す。(2)講師・生徒に対して伝えたい連絡事項や、講師にしてほしい業務内容を共有する。の2つになります。

悪い状態のときの始礼の状態は、始礼の担当者が前に立っても生徒は下を向いたままであったり、挨拶をしても挨拶が小さい、連絡事項を伝えていてもメモしません。始礼担当以外の講師も関心が薄く、ひどいときはしゃべっている間にタブレットをさわって他の作業をしていたりします。まるで生徒・講師たちは始礼担当者の話をBGMのように聞き流しています。

個別指導において重要なことは、生徒も講師も社員も「個」になりがちな教室をいかに「集団」として動かすかです。そのために「始礼」は最も効果的なツールなので個別指導の先生方も是非一度この観点で「始礼」を見直してみてください。

 

皆さんいかがだったでしょうか?もし自分は当てはまっていると感じられたら是非今日から始めてみてください。やることはシンプルです。

 

「自分の指示したことが全員できるまで待つ」のです。

 

この黙って「待つ」ことで生まれる間(ま)が場の緊張感やメリハリによって、皆さんの授業進行や教室運営の助けになってくれます。

 

それでは次回のブログではより具体的に「所作」の観点を整理しつつ、具体的に留意点を書きますので今回の指示の通し方と合わせて参考にしてみてください。

板書は授業者の力量を表す鏡

3学期の時の早さを表す言葉に、「住ぬる(1月)、逃げる(2月)、去る(3月)」と言われます。4月までは入試や新年度募集と怒涛の繁忙期突入です。苦しいときほど笑ってニコニコ福を呼び込みましょう!

と、その前にちょっと小話。
皆さん、「太極マーク」って知ってますか?図でいうとこんなやつです。

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太極マーク

このマークは陰陽思想が由来でして、簡単に説明すると黒い部分が「陰」で白い分が「陽」の意味があり。相反するものが同居している状態を表しています。また、上下にある色が反転した小さい〇が入っていることっでお互いのバランスが完全な状態であることを指しています。つまり、1つの考えや方法では解決できないことが多く、一見すると相反する2つのことを成立させることで成果がでるというメッセージだと僕はいつも解釈をしています。今の時期高3・中3の志望校合格に向けて全力で指導をしつつ、4月の新年度の生徒数を見ながらお問い合わせいただいている各家庭に対して丁寧に対応して入会いただけるよう時間をいかに捻出するか教室長の先生方は四苦八苦されていると思いますが、是非この太極マークのようにバランスのとれた時間の割り振りで受験結果も生徒数も取れるよう日々一緒に頑張っていきましょう!

では、今回のテーマ「効果的な板書術」について書いていきます。
そもそも板書には「授業の進行をスムーズにする。」ための授業内における小道具としての役割と、生徒が板書をノートに写した後に活用する「ポイントを書いたメモ」の役割があると思っています。

 

前者の視点でいうと、「いかに生徒にストレスなくわかりやすい板書」であるかがポイントになるのでやはり「視認性」=「見やすさ」が大事になってきます。
「視認性」を僕なりに要素分解すると、①レイアウト②色使い③文字の大きさの3つになります。以下3つの観点ごとのポイントになります。

その1.レイアウトは3分割すべし

僕はホワイトボードを三分割して使用します。そして列ごとに役割やルールを設けるようにしています。

【左端】:今日の授業テーマ、ポイントのまとめを書く。

この列は1回の授業中ほぼ消しません。皆さんも経験があると思いますが、メモなどが無い状態で話だけを聞いていると、話者が伝えたいポイントが今どこなのか、前の話とのつながりなどが分かりにくく結果として話の最後の印象だけが記憶として残っていることってありませんか?大人でそうなるのであれば子供たちなら猶更です。そこで授業テーマや授業で扱う公式等は消さずに置いておきたいのでこの列に書いておきます。書き残しておくことで授業者は授業の中で折に触れて説明したり、確認することで生徒の記憶定着に効果を発揮します。

 

【中央】【右端】主にこの2つのスペースで例題や演習問題を書いていきましょう。

ここで気を付けるべきポイントは、列内での改行や列を跨がないことです。
なぜそこまで重要なのかというと、下の写真を見比べてみてください。

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改行してない数式

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改行した数式


改行することで視認性は下がりますし、無意識に我々の思考も改行したことにより思考の分断が起こっているのがわかっていただけると思います。なので意味のない改行は生徒の思考の混乱を招くのでしないようにしましょう。

その2.色はそれだけで意味をもつ

一般論としてホワイトボードで板書をする場合、使用する色ペンは3色(黒・)です。色の使い分けですが一般通念として色がもつイメージと同じにしておくことは大事です。例えば、から連想されるモノをイメージしてみてください。血・サイレン・赤信号など、色から連想するイメージは【危ない】【緊急】などではないでしょうか?逆に、から連想されるモノは、青信号・空などで色のイメージとしては【安心】や【落ち着く】といったイメージです。ですので、僕は赤と青色の使うルールは以下のようにしています。

公式・概念など授業内で一番大事なもの。
  図で生徒が認識しやすいように強調したいとき。

赤ほど重要ではないものを強調するとき。
  図を強調する際に既に赤を使っているときの色で区別したい場合。

また使う色を3色に限定する理由はがあります。使用する色が増えると自ずと類似色(例えば赤とオレンジ)が増えます。結果、生徒がノートを見た際に多色であるがゆえに授業者が授業で伝えたい箇所がかえって見にくくなります。ただし多色の方がいい時もあって、理科の炎色反応や試薬の色など試験問題で問われるものが「色」の場合は、色を視覚情報としてインプットしてもらった方が覚えやすいので使ってもいいと思います。

 

その3.文字は丸字で大きくが基本!

文字の大きさに関しては言うまでもありません。生徒が見やすい適切な大きさで書きましょう。また字が汚い先生は丸字にするのがポイントです。ホワイトボードは楷書体のフォントは見にくいです。(個人的な感性かもしれませんが)一方、丸字はある程度字の汚さを曲線の柔らかい印象でカバーできるので見やすい印象にはなると思います。レイアウトの部分で触れていますが文字が大きすぎて不要な改行または改列になるようなことは避けましょう。

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丸字は印象が良い!?

以上が板書の「視認性」についてのポイントでした。

 

板書でもう1つの大事な観点として「再現性」について触れておきます。生徒達に「数学のテスト勉強をするときに授業ノートを見直したことがあるか?」と聞いて「見直している。」と答えた生徒に未だかつて出会ったことはありません。是非、他の先生方も聞いてみて下さい。この生徒達の回答に隠されている残酷な真実は先生方が一生懸命に準備をして書いた板書が生徒達にとっては「その場限りのメモ」としての消費物とされていることです。またこのことを象徴する場面としては、生徒がテスト前などに質問にも表れています。生徒達はよく「どうやったら解いたらいいかわかりません。」と言って質問してきます。これは「解法を暗記していないので、解く糸口がわかりません。」と言い換えることもできます。

前のブログでも触れましたが、我々授業者にとって最も大事なことは、生徒が理解した授業内容の定着度をいかにあがるように勉強させるかです。そのためには、消費物になっているノートを生徒が振り返りができる「参考書」に昇華するために僕がしてきた改善は、「授業ポイントので使う言葉の選択や表現」です。

授業ポイントの言葉の表現は、短く!キャッチーに!

フォレスタの使用方法のポイントにもあるように、「説明は短く、早く」の目的と同じで生徒達の記憶にいかに残すかという点においてポイント説明に使うフレーズは「短く!キャッチ―に!」にします。使う言葉や表現もイメージしやすすく生徒の語彙レベルに合わせたものにします。

例えば、数学B『ベクトル』で成分という概念を学びます。ベクトルとは大きさと向き持った量と定義されるもので簡単にいうと矢印です。この単元を指導する際に僕が実際に書く板書はこんな感じです。

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ベクトル

このベクトルで登場する成分とは同じ矢印を書けるようにするための統一規格のことで、(3,4)と書かれていたら矢印の横の長さ(x成分)が3、縦の長さが(y成分)4であることを表しています。ここで伝えたいことは、矢印を横と縦に分解している情報を図にしておくことで矢印の長さは、直角三角形の斜辺ということがわかり、ベクトルの長さは三平方の定理を用いて成り立つことが理解しやすくなります。また、2つのベクトルの成分の足し算の際に、成分は矢印の横と縦の長さであることが理解できているので、特段説明しなくても生徒達は直感的に同じ成分同士を足し算してくれます。

 

板書は授業者の力量を調べる試薬

ここまで読んでいただくとわかると思いますが、実は板書は授業者の力量を如実に表します。昔あるカリスマ講師が講演会で話していたことです。

授業の力量は、板書の技術が最初に伸びて、その後に話法の技術が伸びる。そうすると螺旋階段のように次はまた板書の技術が伸びて、話法が伸びる状態を繰り返す。

あれから10数年経って、この言葉は1つの真理だと自分の体験を通じて思っています。集団授業の先生方、是非一度自分の板書で生徒達が演習中にどんな解き方をしているか机間巡視してみてください。先生方のスキルアップの種は生徒達が教えてくれていますよ。飽くなき自己否定の先に生徒の最大多数の成績アップが実現します。

 

次回は、授業中における授業者の所作・話法についてです。効果的な発問は?声の大きさは?効果的な目配せとは?板書と双璧を成す授業者の所作・話法がもたらす効果を余すことなくお伝えしたいと思います!!

 

最後になりますが、集団の先生方いつもお待ちしています!同意点・相違点教えてもらえるとありがたいです!よろしくお願いします!!

 

3/168

個人目標は「変化」「成長」

新年の集いの挨拶でもお話しましたが、個人的なテーマは会社の理念と同じ「変化」「成長」です。1年後この状態になっていると皆さんに見てもらえるように、僕が定めたKPIは「実行タスク数」です。

 

話は少しそれますが、なぜこのKPIにしたかというと、僕が塾人として約25年、短期間で劇的に生徒数が伸びる塾や教室をみたことはありません。そう言い切ると、「土師教室」「東舞鶴教室」「豊岡南教室」などは増やしているんじゃないの?って思われる人もいます。

例えば、土師教室は過去の最大生徒数に戻すまでに2年かかっています。また、東舞鶴・豊岡南教室も同様に最大生徒数を更新するまでには至っていません。誤解ないようにお伝えしておきますが、一度凹んだ教室を河田先生・吉岡先生・山中先生が戻しつつあること自体は本当にすごいことです。塾偏差値で言えば、難関国立大学レベルなので60以上はあります。本当に部門・会社に貢献していただけてりうことには感謝しています。ありがとうございます。

 

僕がここで言いたいのはあくまで他業種と比較して塾業界は劇的に変化しにくいということです。

塾の商圏は店舗からせいぜい半径3km以内で、かつ顧客となりうる年齢層も10歳から18歳狭いです。他方、物販などに比べるとインターネットが普及した今であれば日本中、もしくは世界中で、対象顧客数も圧倒的に多いのです。
ですから、塾はヒット商品で一発大儲けなんて逆転ホームランがでるような業界ではなく、地味で地道な業界です。その塾でも個別指導は集団指導に比べ塾のカラーが出しにくく、競合塾とのイメージの差別化が難しいのも特徴です。なので、日々決められた業務を精度高くこなしていくことで成果を出すこと以外増えることがありません。この点は塾で働くすべてのスタッフは肝に銘じておきましょう。

 

ということで、変化・成長するには毎日コツコツ決めたことをする。その数が自分を次のステージに連れて行ってくれると思って設定しました。ブログは2週間に1回の頻度で月2回書きます!皆さんみててください。

 

とーーーーっても横道にそれてしまいましたが、本題に戻ります。
さて、いきなりですが皆さんに質問です。

 

「皆さんは何のために授業をしていますか?」

皆さんどんな答えが思い浮かびましたか?

「知識や解法を教えるため。」とか「予習することで生徒の学校での理解をしやすくしてあげるため。」とかでしょうか?

 

僕の答えは、「生徒に内発的な動機付けを行うこと。」です。

 

この理由を理解をしてもらうために塾のサービスと生徒の成績アップの仕組みをフレームで説明します。

人が何か技術を身につけるには3つの段階が存在します。

1つ目は、【理解】です。勉強でいうと新しい概念や知識・解法を知ることです。

ただ、概念を見聞きしただけで出来るようにはなりません。そこで2つめの段階は、理解した内容を再現できるようになるための練習として【定着】があります。
この定着は本当に時間を要します。
これも解明されていることでご存じな方も多いと思いますが、人間がある作業を行った際に、時間と習熟度合をあらすもので「経験曲線」があります。

 

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80%カーブ

図のように、学習時間を2倍にとると解法が思いつくまでの反応時間が約20%減少すると言われています。このように何かをスムーズにできるようになるためには、かなりの反復回数と時間を要するということです。

そして最終段階の3つ目は、【活用】です。この段階になると、数学でいえば数字が帰られていたり、問題表現を変えても正解するために必要な知識・解法が思い出し、使える状態のことです。まとめると、塾は、「理解」=授業、「定着」=宿題、「活用」=小テスト・模試になります。

 

しかし学習塾では長年大きな課題を抱えていました。

それは、生徒が「定着」するための勉強時間数の確保は塾では把握しにくい上に、コントロールが効かないのです。IT技術の進歩により10年前よりは幾分スタディプラスのようなコンテンツが充実してきたのでその問題は緩和されつつありますが、低学力層の生徒や中学生ではまだまだ十分とは言えません。

なので、生徒たちにいかに「勉強する」ことの心理的ハードルを下げ、生徒を学びに向かわせられるかが対面で授業を行っている講師の技量であり、一番必要な役割だと思っています。

 

その為には授業中に「わかった!」や「1人でできた!」の演出は欠かせませんし、「よくできたね!」「すごいね!クラスで1番早く解けてたよ!」といったほめの演出をするための効果的な発問、声かけの技術も必要ですし、生徒が1人で勉強しているときに授業ノートをみて自分で再度理解を深めるための板書になっているのかなどなど講師は授業にまつわるありとあらゆることに拘っていく必然性があるのです。

 

さぁ、ここまでくるとタイトルの数字の意味が分かった人がいるかもしれません。

 168 →24時間×7日

  3 →生徒が塾で学ぶ時間

 

我々はいかに生徒が塾にいない残りの165時間をコントロールして勉強時間を増やさせるのか、生徒の知的好奇心をゆさぶり学びに向かわせるのかを意識して日々の授業準備をしていきましょう。


ということが、starwarsのように時系列が逆になってしまいましたが、僕のブログで今後書いていく技術を身につけるに至った原点の内容です。


是非この記事を踏まえまた最初の記事を復習で見てみてください。

次回は、効果的な板書術について書きます!こうご期待ください。

See you next week.         

                             橋垣です。

 

 長年の塾講師をしている中で気づいた経験則のひとつに、「次週の授業で生徒にまた会えることが楽しみになると、その担当しているクラス、教室の生徒数が増えていく」というのがあります。この生徒たち、クラスにまた次週、会いたいと思えてくること、そういう心持ちになって、授業ができるようになると、不思議と生徒が増えてくる。入社して、1年目に担当した峰山教室の高1数学のクラス、高龍教室の中学生、豊岡から戻ってきて担当した野田川の中3と高1、10年前に舞鶴から帰ってきた年の宮津教室の高校生、3年前の豊岡教室の高2英語のクラスなど、思いつくクラスがあります。一斉授業だけでなく、2年前のBP豊岡南の個別指導で木曜日に担当した中2や高1の生徒も「また会いたい」とこちらが思えるメンバーでした。最初の峰山教室の高1は、ビギナーの楽しみ、面白さといった感じで、自分も勉強していくことで、次回の授業でこんなことを言ってみよう、やってみよう、工夫していくこと自体が面白くなっていた。しかし、今、思うとひどい授業をしていたと思います。

 3年前の豊岡教室の高2英語は、授業に前向きに取り組む数名の男子がいて、その友人つながりで生徒が何人か増えました。ライバル塾からの移籍も2名ほどありました。

 セッションという言葉がありますが、その言葉の使われ方としては、大きく区分すると、以下のようなものがあるようです。

①ジャズなどで、演奏者が自由に集まって即興的な演奏を行うジャムセッション

②議会、会議、また学校などの授業が行われること。その会期や期間の区切り。

③コンピューターネットワークにおいての、サーバーや通信機器間で接続が開始されてから、終了するまでの一連の通信。

 文字通り、私がここで使うセッションの意味は授業のことになるのですが、あえてセッションと記したいのは特に立志の集団授業は講師、生徒が積極的に参加することで、一体感のある場、その場の持つ熱、温度感、自己の可能性に気づく場所とでもいえばいいのでしょうか、そういったライブ感のあるものだと思うのです。生徒が受け身でノートをとっているだけの授業ではなく、むしろ、ジャズのジャムセッションに近いイメージです。みんな「俺が俺が」みたいに自己主張しながら熱くなっていく、ポジティブに物事に取り組む場。また会いたいと思えるクラス、授業には大なり小なりセッション感があります。

 では、また会いたいと思えるクラスにするには、どうすればいいか?月並みですが、まずは、講師、社員自体が生徒に興味関心を持つこと。生徒を好きになること。授業や授業準備に熱中すること。予定調和的でなく、場の持つ力をひきだすこと。私がこころがけていたのは、ポジティヴセンサーになる。できたことを認めて、褒める。実に単純なことでした。

 また、授業をしていく上で気を付けておかねばならないのは、客観的にみているもう一人の自分を持つということです。授業のなかでやってしまっている「失敗」に気づく自分を持つということ。成功例ばかり書いていますが、私が40歳くらいの頃、自分がメインとする教科の高2英語で、膨大な量の板書を綿密にする授業してしまったのですが、90分でこれだけの情報量を提示できる授業はすごい、勝手に自己満足に陥ってしまったことがありました。2学期の頭ぐらいに複数名の生徒から退会や教科変更(英語をやめたい)という事態に陥ってしまいました。ただ板書しているだけの授業になっていたようです。その数年前に担当していた高2文系数学では、「学校の授業よりよくわかる」「こんなわかりやすい授業は初めてうけた」皮肉なことに、不得手としていた数学の授業の方が評判がよかったのです。

 まさに慢心が招いた結果でした。生徒のちょっとした表情や言葉から、違和感に気づき、フィードバックして授業を修正していく力も必要だと思います。

 ビギナーにとってのセッション、中級者にとってのセッション、ベテランにとってのセッション、それぞれ形はかわるものの、基本は同じ、参加しているものが楽しくなること。また授業を受けたいと生徒が思えるものであること。

 また会いたい、また受けたいと思える授業を立志の各メンバーがプロデュースしたり、実際に行えれば、立志の理念「変化を生み出し、成長の感動をメイキングする」ことの実現に近づける気がしてなりません。

 

感想紹介「仕事をゲーム化し、そのゲームの達人となる!」by川瀬先生

みなさんお久しぶりです。佐野です。

だいぶ時間が経ってしまいましたが、9月に書いた僕の投稿に対し、

森口先生に続き、川瀬先生が感想を書いてくれたので紹介したいと思います。

僕のブログ内容はこの記事です。

「仕事をゲーム化し、そのゲームの達人になる!」 - 立志の幹部ブログ

 

以下、川瀬先生から頂いた感想の文章です。

 

はじめに

先日の佐野先生超大作のブログを読んで考えたことを書きます。
「仕事をゲーム化し、そのゲームの達人となる!」という話でした。内容は非常に納得性の高いもので、過去の仕事の仕方を思い出したら、私も無意識にしていたような気もします。
このように文章で端的に説明をされると自分の中だけにあって形にもなっていないようなものが、一気に鮮明に形どられた感覚となりました。「そう!そう!それそれ!分かってくれてありがとう!!」と伝えたい気分です。

 

GKマネージャー時代の反省点

私は2年前ぐらいまで京都市内学印でマネージャー業務として社員に業務の指示を出していたのですが、うまくいかないことばかりで頭を悩ませる日々でした。
今回このブログを読んで指示が通り辛かった理由の一つが分かった気がしました。社員一人ひとりが業務を遂行し易くなるために必要な仮説が足りておらず①気づき、②観察・分析、仮説、③アクションの変化、④仮説の検証→確信へと変わるといった業務改善に必要なプロセスをすっ飛ばして、ブログでいう『⑤アクションの強化&練度の向上』のみに基づいた指示になっていたように思います。

私の業務にも、このプロセスがある。

少し話は変わりますが、私は中学3年生が高校受験を終え高校生になっても塾に続けて通ってもらう率を高く出すことが得意です。(いわゆる『高1継続』ってやつです。)。私は、これまでの塾経験において新人1年目から60%を切ったことがありません。新人の頃は上司の指示を徹底的に守っていただけなのですが、積み重ねていくうちに自分なりの考えややり方を身に付けました。所謂、「守・破・離」というやつです。ブログのプロセスに沿って説明していきます。

①発見・気付き(自教室の生徒の実態に対する気づき)
前職で自分がまだ現場で教室長をしていた頃のこと。自教室の生徒達へ指導に対して、高校受験で合格するために一生懸命勉強して努力することは素晴らしいことだが、果たして合格するだけでいいのだろうかと考えるようになりました。高校生の塾生には、一旦塾を辞めた生徒で、高校の勉強についていけなくて復塾する生徒がいたり、高校の途中から入塾する生徒がいます。高校の途中から個別指導の塾を選択する生徒の多くは、本当に手のつけられない程にボロボロな成績の生徒がほとんどです。そのため、前学期、前学年の取りこぼしを回収することに時間を取られ、希望の大学に行かしてあげられないこともしばしばありました。塾として指導力がないと言われたらその通りですが、「もっと早くから塾に入って勉強してくれていれば」、という思いも拭えませんでした。

②細かく観察→分析→仮設を立てる(今後の生徒の人生に起きることの予測)
そこで、高校受験・大学受験のことを勉強したり、生徒たちの気持ちや動きを観察してみました。塾に通うとき、小中学生は保護者発信、高校生は自分発信です。高校生が「このままの成績じゃまずいな」と思うとき、残念なことに「本当に取り返しのつかない成績」になっていることがほとんどです。上記の状態にならないためには、

(1)「高校の授業の特性」、「勉強内容」、「大学受験の情報」を前もって入手すること。

(2)高校段階早期に第酷い成績になる前に何らかの手を加えられる環境を作ること。

(3)中学生の間に基礎学力を可能な限りつけること。

高校に合格することが目標ではなく、高校で◯位にいたいなら〜、◯◯大学に行きたいなら〜、高校の入試問題では◯点取ることが必要だという考えが強くなっていきました。生徒の進路を、大きなストーリーで考え、逆算するようになったのはこの頃です。


③アクションを変えてみる(面談内容の変化・提案の根拠の提示)
現在塾に通ってくれている中学生には、「高校生になったときの自分のイメージ」が明確になるよう声かけしていきました。

  • 高校での成績はどの位置にいたいのか。
  • 部活は本格的にやるのか、そうでないのか。
  • 卒業後の進路は進学か就職か、進学の場合は大学か、専門学校か。
  • 大学の場合はどのレベルぐらいの大学に行きたいのか。
  • 入試区分はどうするか。

など、しつこいぐらいに質問をして、生徒にも保護者にも高校入学後のセルフイメージをもってもらうように努めました。保護者生徒ともに「今、そんなこと聞かせても高校生のことは高校に行ってみないと分からない」と言われることも多々ありましたが、めげずに毎回の面談で繰り返し質問していけば、高校入学後の具体的な生活や進路を考えてくれるようになり、面談が生徒の将来を話す会のようになりとても楽しい時間となっていました。高校合格が最大の目標ではなく、自分の将来を見据え、どのような順路を進んでいくか、そのための高校選び、高校での成績の取り方を考えていきました。そうすると不思議なことに「高校でも1年から勉強頑張らないと」という気になるのです。

※佐野:この行為は超重要で、「塾の先生」という枠に収まらない、生徒の人生のメンターになっていると思います。我々は、「生徒の人生には責任が持てない」が、「少しでも現状を変化させ、より良い人生を歩んでいくために必要な考え方や行動基準を、受験を通して体験させること」ができる。これこそが、サービスを通した「価値提供の場」になります。

④仮説の検証→確信へと変わる
高校受験が終わっても勉強し続けた生徒は、どの高校に通っていても高1の1学期から成績が良く、進路情報収集や受験に向けた勉強を早くから始めていました。志望校が早く決まれば、それだけ早くから受験勉強に取り掛かれます。中学のときはオール3だった生徒が一般入試で立命館大学に合格することも可能ですし、偏差値40もない高校に行って産近甲龍佛の指定校をもらう生徒もいました。早期着手で生徒の可能性は広がります。教室長としては何にも変え難い喜びなのではないでしょうか!また、これらの生徒への指導を通して、「この学力層からも中堅大学〜難関大へアクセス可能なんだ」という私の認識や経験値が副産物として手にすることになりました。(当然のことながら、その後の生徒への指導にこの経験が役に立ち、また、私自身への「これ位なら受からせられる」といった想像力にも変化が起こりました。この私自身の変化により、自分が抱えられる生徒数が大幅に変化しました。)

※佐野:これは、「セレンディピティ」といって、目的達成のために遮二無二打ち込んでいくと、その過程で本来の目的とは異なった成果物・副産物を手にすることを言いますが、我々は、生徒の成績向上と、最高の進路実現のカタチを追い求めることで、「それを成し得る指導力」と共に、「自分の認識そのものが変容してしまう体験」を手にします。だからこそ、純粋に「より良い」を求めて、業務に挑んで欲しいものです。

⑤アクションの強化&練度の向上
④の経験から、私は、中学生(2年次から3年次の冬かけて)に「高校入学後のビジョンを持たせて入学させる」ということを軸に各種指導場面(授業・補習・自習・質問対応・面談など)いました。そのために、なるべく早い段階から(最善策は小学生からで、早すぎのようにも感じますが、真剣に考えてくれる保護者も沢山いました。)勉強させて、近い将来から大人になっていく段階の話をして、いつの時期に何のテーマで語りかけるのか見極め、その計画に則り適切に実施することで、高校受験終了後、高1継続に強引に誘導しなくても、自然な流れで高校生になっても塾を続けてくれます。

※佐野:It's automatic!!!最前の限りを尽くした行動の先には、殆どの指導が上手くいくようになる分岐点が訪れます。自分の中に、生徒・保護者・現場の全てに対して「見えている状態」という感覚が宿ります。僕自身、この感覚を手にするまで、7~8年かかりました。「私、失敗しないので。」のドクターXのフリーランス天才外科医の 大門未知子のような状態です。

「事実を積み上げること」「誠実であること」=「良い数字」

このような流れで私は中学生への接し方、誘導の仕方を学んでいきました。私は社内で「数字が好きな川瀬」という印象があるみたいです。全くもってその通りなので一切否定はしませんが、誤解があるかもしれないので、一応伝えておきます。

 

私はただ「高1継続60%」とか「生徒数昨対プラス◯名」という結果や実績が好きなわけではありません。この数字だけ見ても、もしかしたら、「保護者生徒にその場限りの詐欺まがいの提案で売りつけた可能性」も想像されてしまうかもしれませんし、この商売(学習塾)では起き得てしまうことだとも思います。しかし、事前に生徒・保護者に情報を提示し、生徒の目標を達成していくために必要な提案を行っていけば、上記のようなことは減らすことができます。私は、誠実かつ効果的に成果を出していくことを大切にしています。私の中では、それを「良い数字」と呼んでいます。

数値が高いことを「良い」と言っているのではなく、「良い状態により生み出された数字」という意味です。評価されるに値する数字かは分かりません。私はこの数字を作り出す過程に興味があります。保護者に「塾に入れ」と言われて、(なんとなく)入会した生徒が中学卒業時には、明確な目標を持ち「高校でも塾に通いたい」と自分の意志を持ち、通塾してくれたらめっちゃ嬉しい!みたいな感じです。自分にとって数字とは前述の意味合いが強かったため、「数字が好きな川瀬」と言われても嫌な気はせず納得していました。が、嫌味で言われてきたのではないか?ここ最近なんとなく思うことがあったので補足説明させてもらいました。

※佐野:組織において、「やり抜く人」が多く受ける誤解ですね。僕も散々あったので、今は何とも思わなくなりましたが、川瀬先生の言う、「良い数字」という感覚は非常に大切です。現状をぶち破っていくためには、飽くなき自己否定としての、業務改善のプロセスが必要不可欠です。本来的には悪い意味ですが、業務改善への強い「こだわり」が一つ一つの事実を作り上げ、結果的にファクトベースな業務の在り方が生まれてきます。「自習来校率」一つ取っても、ただ自習にきている生徒をカウントしていては意味なんてありません。すぐに「教室にサボれる雰囲気」が充満し「腐敗臭」を放つ様になり、結果として、紹介等の問い合わせが減少します。補習呼び出しにしろ、自習内容の提示にせよ、この安易な数字の追求の仕方を回避するための「組織的施策」であることをここで触れておきます。

「良い数字」超大事。

振り返ることで生まれた自身の反省点

「数字が好き」を嫌味とも気付づかないほど鈍感で言葉足らずな私は「社員みんながこんな感じにできればいいじゃん!」と、社員に指示を出し、諸々をすっ飛ばした⑤の内容のみにフォーカスを当てて指示してしまっていました。

社員の思いに対して、①気づき、②観察・分析・仮説ができていなかったため、

  • 『勉強させること=講習会や通常授業講座などの売上をあげろ』
  • 『将来の話をすること=面談内容を勝手に決められる』

といった変換をされても仕方がないと今なら理解できます。
「仕事をゲーム化し、そのゲームの達人となる」ことは、きっと①~④が仕事の醍醐味且つ楽しいところで、⑤は修行やレベルアップのような側面をもっているように思います。

仕事は誰かのためになること、ハッピーにすること、であって、それは本来とても楽しいことです。何も考えず⑤ばかりやっても苦行のようなものになってしまうのですね。
先日のブログにて「建設的に飽くなき自己否定を」と書いてありました。自己否定するならば、上記①で記載した私の推しが弱く勉強をさせてあげられなかった生徒・合格させてあげられなかった生徒がたくさんいます。私のマネジメントが拙かったばっかりに嫌な思いをした社員もきっと多いです。
みなさん、ごめんなさい!!!!

そういった人たちのことは決して忘れずに精進していきますので、お許しください。しばらくは教室長として働くことはないですが、ビーパル・学印に通ってくれている約1,000人の生徒、そのご家族の生活がより良くハッピーになるよう、自分の経験や成功体験を丁寧に順序立てて、社員が行動に移しやすいように伝えていく努力をする時期に入って来ているのだなと改めて感じました。①から④をゲーム化して楽しく、そして、⑤を追求することで一人ひとりの社員の生産性の向上と、私に起きた「自己認識のアップデート」が増えていったら、もっとたくさんの生徒を幸せにできることが想像できます。みんなでそんな状態の実現に向かっていきたいと思いました。

佐野から

今回、自発的に書いて頂いた内容を社内で紹介するために、ブログへの転載を快諾して頂き、本当に有り難うございました。

また、社員の皆さんにとってはどの様に感じましたか?

このプロセスを「業務水準を上げようとする時」に活用してみてください。

そして、近日中にまた、新たな業務の考え方・捉え方・行動の起こし方について紹介します。

一つ恐ろしいことをお伝えしますが、幹部ブログは、幹部の考えを紹介する「ブログ」なんてものではありません。教室が離れているからこそ難しい「社員育成」を目的とした「業務の観点の説明の場」なのです。

つまり、本ブログで提示したことは具体的な業務命令ではないものの「行動指針」や「考え方の基準」の業務伝達をしているのです。

北近畿において、圧倒的No.1教育企業になること、10年後も、20年後も、僕らが働いていく限り、地域の教育に価値を提供し続ける企業になること、そして、そこで働く社員のみなさんの幸福の実現に繋がる待遇の確保のために、「文章を的確に読み、書くことができる」力を身に付けてください。

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最後に、マザーテレサの言葉を紹介します。

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words.
Be careful of your words, for your words become your deeds.
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits.
Be careful of your habits for your habits become your character.
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

思考と言葉が全てに影響します。

社会人になり17年が経ちますが、この2つがいい加減な人は、総じてポンコツでした。逆に、仕事ができる人、収入が高い人、信頼される人、モテる人、何でもいいですが「プラスな結果」を出していく人は上記3段目(行動)まで出来ている人が殆どです。

これはそんなに難しいことじゃありません。

なぜなら、「良い数字」を意識して行動すればいいからです。

社内にこの「良い数字」をいう概念が根付くことを願い、筆を置くこととします。

 

文責:佐野

Having a go!

                             橋垣です。

  ラグビー元日本代表ヘッドコーチである エディ-・ジョーンズ氏の「ハードワーク」という本にでてきた言葉が気に入っています。「Having a go」この場合のgo は名詞でほぼtryと同義のようです。「チャレンジしてみよう」「やってみよう」という意味のようです。エディ-・ジョーンズ氏によれば、サントリーの、創業者鳥井信次郎氏の言葉「やってみなはれ」に相当する言葉だとのこと。成功するためにはまずチャレンジすることが必要であるということなのだろう。日本人選手はミスをすることを異常に恐れているとも書いています。

 失敗を恐れることなく、まずはやってみることが大事、失敗してもそこから学べばよい。

 先日、BP豊岡南を行ったら、吉岡先生の机の上にMOS(Microsoft Office Specialist  )対策テキストとフォレスタ英文法がおいてありました。

それを見て私が思ったことは、「彼(吉岡先生)は、やる気だな」ということ。たぶんデータチームの職責を果たすためと、1月の総会でセンター英語のテストを受けることになった対策を始めようとしていることは間違いなさそうでした。

 MOSについては私の方が教えを請わなければならない立場ですが、センター試験英語の方は高得点をとるためのアドバイスができるかもしれない。そう思ってこのブログを書いています。

 私がこの業界に入ったのは29歳の時で、ちょうど共通一次試験が終わり、センター

試験が始まろうとしていた時でした。当初は主に中学生の数学を教えることが多かったですが、3年目くらいから高1の英語を担当することになりました。高校生を担当するからには、大学入試の英語ももう一度みておこうということで、まずは、センター試験の過去問(まだ1~2年分しかなかった)、予備校の出しているいわゆる青本、黒本をやることにしました。よく覚えていますが初めてチャレンジしたときは200点満点で110点少しだったと思います。第2問の文法語法の4択問題で時間をとられてしまい、(知識がないくせに妙に考えこんで、いたずらに時間が過ぎるという初歩的な間違い)最後の長文がほとんど読めなかったように思います。現役高校生によくあるパターンです。弱点克服ということで、桐原書店の英語頻出問題集と美成社の客観問題が集まった問題集を解き、2週間くらい、ウィスキー飲みながら毎晩勉強しました。その甲斐あってか1か月後くらいには150点前後とれるようになりました。発音問題と整序問題がまだ弱く、そこで伸び悩みました。発音問題は実は今も弱い。駿台の英文700選を覚えなおして、整序問題の対策をしていくとなんとか180点ラインまではもっていけました。

問題を解いていくなかで、長文の内容一致問題は①本文の言い換え②理由や因果関係を問うもの③知識を問うものの3つに集約されることがわかってきて、今解いている問題がどの種類かを考えてとくようになってからは、大きく外さなくなりました。

 余談ですが、内容一致問題の解き方は現代文にも通じるもので、以前、このことをBP豊岡南の中2女子(現中3)に伝授したら、国語の成績が3だったものが5になりました。現代文や英語の内容一致問題を解くときのコツのひとつだと思います。

 センター英語の得点率を上げるためには①英単語、英熟語、英文法などの基礎知識をしっかり身に着けること。⓶3型、6型長文など内容一致問題の解き方をマスターする。この2つのことができれば、140点に到達します。

 物事に着手するときに、「やる気」→「わかる」→「できる」というモチベーションを高めてからはいるやり方と、とりあえず「やってみる」→「できる」→「やる気が継続する」という2つの流れがあるように思います。どちらかというと、後者の流れの方が物事を継続しやすいと思います。

 1月の総会で実施される予定のセンター英語の試験、対策をどうしようかと思われている方もいるのではないでしょうか?まずは、高校生に勧めている学力診断テストを、自分も受けてみて、客観的の実力を確認することから始めましょう。そのなかで、できなかったことのうち、少し頑張ればできそうなことを探して、その対策をしていく。そうやってできることを増やしていく。

 先のエディー・ジョーンズ氏の本のなかにも次のような言葉がでてきます。「何かをしようと思えば、まず自分を客観的に見つめることが大事です。なぜなら、他人に指摘されるより、ずっと強い意志で取り組めるからです。」物事を客観視すれば必ず見えてくるものがあります。自分の弱点を、自分で理解することは、進むべき方向を定める上で、とても重要だと思います。

 えらそうに言っているばかりではなく、私もチャレンジすることにしました。采女先生と総会で数学の得点を競うことにしました。彼は理系なのでⅡB、私はⅠAで勝負して負けた方がラーメンをおごることになりました。あと弱点である発音問題も克服しておこうと思います。去年よりは少しでもいい点をとりたい。

 皆さんもぜひチャレンジしてください。「Having a go!」

 

 

愛だろっ、愛。〜吾輩らはプロである〜

 

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このコピーはサントリーザ・カクテルバー(1993年~)のもので、永瀬正敏出演によるコミカルなテレビCMが記憶に残っています。コピーライターの佐藤康彦氏は、「世の中って冷たいな」という思いから出た言葉なんだよね。「愛だろ、愛っ。」という言葉に、世の中つめてえんじゃないの? というメッセージを込めた。と、インタビューに答えていました。


今回は、生徒への「愛」。また、それを実らせるための「業務の追求」といった職業観での「仕事愛」について書いていきます。

 

まずはじめに、前回の沖汐先生のブログ「生徒の成績が上がる授業テク!【予習編】 」を受けて、前回の田村先生の記事をリレーしたのと同様に、観点を深めていきたいと思います。

 

前置きとして、今回の文章は面倒臭い文章です。でも、これを読めるか読めないかは結構重要です。つまり、「何度も咀嚼し切るまで読み返してください」ということです。

 

まず、前回の内容の振り返りをしていきましょう。

「想いは手法の上流にあり、しかし手法なき想いは無力なり。」

という吉田松陰の言葉を柱に、

新たに扱う単元における「既習単元との接続」について

②例題に使用する数字の設定について

③単元を抽象化して理解する力について

という流れで、「授業準備に関する心構え」と「準備項目」について解説し、最後にタイトルの回収として、

手法の追求をしたかった訳ではなく、生徒の成績向上や、地域の子供たちへの受験を通した成功体験の提供を目的とし、その想いを果たすため、飽くなき自己否定としての「授業改善」を行ってきた”

と締め括り、授業改善はあくまでも手段でしかなく、その根底に生徒の成績向上への想いを持っていることが大切だと言っていました。

 

おいっ!吉田松陰!「想い」とはなんぞ!?

しかし、「想い」と一口に言ってみても、「志」といった高尚なものか、他者へ自然発生的に抱く感情程度に留まるものか、はたまた対象への慈悲深い愛にまで昇華されるものなのか、曖昧さが拭えないこの「想い」という言葉に対し、吉田松陰の言葉を前提とし、新たに定義づけしてみようと思う。まず、「想い」という言葉を「愛」に置き換えてみると、この後論じる展開が見易くなるかもしれない。

「愛は手法の上流にあり、しかし手法なき愛は無力なり」。

「愛していると一方的に叫び続けるDV夫」VS「愛の言葉は少ないが、行為や行動の中に愛が潜んでいる夫」と考えると、どちらが本質的な愛なのか、より一層想像し易くなると思う。閑話休題、職業における想いや情熱を高い水準で果たす時、「愛」というものが業務に宿る。業務自体やその対象(生徒)への行為(ex.授業や面談などの直接的関与と、宿題等で扱う問題のレベル調整や進捗管理等の間接的関与)の追求の中には、対象を深く見つめ解決すべき点に気が付くだけの「観察」と、観察を基にした業務内容・項目の列挙〜その効果性を見極めるための「分析」と、成果から逆算した手法の有効性を想像する「仮説」等のプロセスがあり、これら一つひとつを高水準で行い、またそれらの繋がりを意識し、連動させることで、目標達成に向かう業務の「基盤や地面のようなもの」が作られる。このプロセスによって生まれる基盤や地面というものは、愛の技術を底支えするものとなるため、頭に留め置いて頂きたい。

※目標達成に必要な各種要素が揃っている状態を、認識や現状の「地面が揃う」と言います。今の立志はこの地面が揃っていないこと(業務内容や社員間の認識の齟齬)が多いため、それらを改善すべく本ブログが存在していることを添えておきます。

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※再掲:業務レベルアップのプロセス

上記のプロセスを「授業力」に当てはめてみると、前回のブログの①〜⑤のプロセスとなる。①生徒の学習上の理解の現在地や精神状態を鋭く深く見つめる「観察」、②授業内容や進行が適切かどうか見極める「分析」、③生徒の実態と実施する授業に乖離が起きないよう「仮説を立てる」、④仮説に基づいた「アクションの効果性の検証→確信に変わる」、⑤効果性が立証された「アクションの強度」を増し、継続実施するといった感じである。伝わった状態から逆算することで生まれる仮説と実践の繰り返しが、授業をより高い水準に変化させていくことが想像できると思う。前回沖汐先生の記事で書かれていた「想い」を表現するための授業改善【予習編】は、このような段階を経て実現されるのです。生徒の変化成長を目的にした、「飽くなき自己否定」という授業改善を追求すべく、今回は、「想い」=「愛」という不確かなものの本質に迫ることで、生徒対応において必要な各要素への気づきに繋がるよう書いていきます。

 

さて、前置きが長くなったので、そろそろ本題に…。

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エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム(Erich Seligmann Fromm、1900年3月23日 - 1980年3月18日)は、ドイツの社会心理学精神分析、哲学の研究者である。※『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/

心理学者のエーリッヒ・フロムは、このようなことを言っています。

愛はコントロールできない感情などではなく、愛は「技術」であり、愛の問題は「愛する能力の問題」である。そして、愛の技術を習得するためには、愛する技術に最大の関心を寄せ、その理論を学び、習練に励む必要がある。そして、もし愛に技術が必要であるならば、その技術の獲得には知識と努力が必要だ。愛は心の中にあるだけでは、ほとんど幸せを生まないし、相手にも伝わりません。愛の行為が必要なのです。そして、行為には技術が必要だと。

う〜ん。なんとも深い…。

生徒への「合格させてあげたい」という想い(愛情)を実現・成就させるためには、技術が必要であること。また、成績アップや合格させる技術の習得には、そのこと自体に最大の関心を寄せ、理論を学び、修練に励むと置き換えられます。そして、その技術獲得は想っているだけでは実現せず、入試情報を調べ、合格に必要な得点を取らせるための授業研究・教材研究といった具体的な行動が必要であると置き換えられる。

至極当然の理屈ですが、愛にまつわる思想と生徒を合格させていくプロセスに普遍的で共通のプロセスがあることが分かると思います。

「愛する」は気をつけないと自己中心的なものになる!?

ただし、愛というのは難しいもので、それを向ける対象や、状況によって変動してしまう。例えば、愛する我が子がコップに注いだ牛乳をこぼしてしまった時に、自分に余裕がある時と、忙しい時とで、自分自身の感情が異なってしまうし、我が子と他人の子供とでは、同じ行為に対しても抱く感情は異なってしまうだろう。

「実の親」と「親ではない」という対象者との関係の違い、牛乳をこぼされた時の自分自身の精神状況によって、愛の姿は簡単に変わってしまう。

関係性から生じる「愛の歪み」「取引」について

前述の条件付き愛情を、技術を駆使した愛に変化させるには、感情のコントロールや、それを行うためのトレードオフをスムーズに行うことが求められる。実の親子であれば、我が子が健やかに育つことや、子の自己肯定感を高めるために叱りすぎないなどの目的と等価交換(取引)できるし、何より良好な親子関係が生み出す「時間」という得難いものを手にすることができる。「毒親」「親ガチャ」などという言葉が巷を賑わす昨今は、個人主義に傾倒しすぎた資本主義の成れの果てとして、親子間にすら愛が足りていない状況を生んだのかもしれない。

 

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「お金を頂いている」という時点で、愛情(技術の追求)は不可避。

この親子間ですら成立が難しい「愛の諸問題」に我々は挑むことができるのか…。と思われるかもしれないが、「お金を頂いている」という事実を忘れてはならない。生徒との関係は「最初からお金」なのである。月謝という授業料からは想像し辛いが、生徒1人平均年額30万円程度頂いている現実がある。我々は、無償の愛を注ぐことを求められてすらいないのだ。お子様一人ひとりの「より良い未来に繋がる教育投資」として、有償での(それなりに高額の費用を頂き)学力向上・受験合格を提供することが我々の仕事なのだ。お金を頂きその道で稼ぐというのは「プロ」であることを意味する。プロは技術や知識を持っており、そのパフォーマンスが揺らがず一定以上であることが求められる。つまり、逆説的に言えば、親御様が持ち合わせない「学力を向上させる技術・機会・時間」の提供が求められ、その手段としての技術の追求には愛が必要、という構図になるのです。

状況の違いによって生じてしまう対象への感情について

学習塾には、大きく2種類の生徒たちから問い合わせが来ます。

・先々の進路を見据えた事前準備としての入塾

・学力不振に陥ってからの入塾

前者は、入塾から入試本番までの残余期間がある程、当該生徒と関係を構築する時間的余裕があり、その結果「信頼関係」が構築され易い。後者に対しては、入会段階から内心「手遅れだよ」と思うことを禁じ得ない。前者には+αのサービスが提供されるかもしれないし、後者に対しては無意識のうち(当該生徒に関与し、不合格となった場合の自身が引き受けるであろう申し訳なさや落ち着きの悪さを味わいたくない気持ち)に距離を取ってしまうこともあるかもしれない。

しかし、本来生徒自体は「愛されるべき存在」である。(※未熟な存在・次世代の社会を担う継承者・言葉を選ばず言えば、未来の優良な納税者として。)しかし、このような学力格差が生まれてしまう背景には、「保護者の文化的教養&言語力の差」「家庭間の経済格差」が存在し、それらは子供たちへの「教育機会の格差(興味関心や知的好奇心を満たす環境の提供度合い)」、「教育資本格差(教育に対する金銭的サポート)」となり、結果として「所属学校における自己と他者との点数や評価の比較から生じる“敗北感”」を量産していく。このような現実は、子供の自己肯定感なんてものをめいっぱい打ち砕く。教室に来ている姿からは想像だにしない現実が存在し、生徒本人の“自己責任論”で片付けるにはあまりにも残酷だ。大手学習塾のCMにあるような“人生の勝負に向かうための場・青春ドラマの1ページ&ハッピーエンドといった表向きな印象の薄皮一枚隔てた向こう側には残酷な思春期が存在したりする。このような生徒たち(もちろん全員ではない)を前に、我々はベストな対応が出来ているのか。想像力を駆使した「観察」無しに、理想的な指導(生徒の現在地と目標地点を繋いでいく授業や進捗管理)など実現し得るのか。このような感傷の彼岸に立ち、「彼らに提供できる可能な限りが何であるのか」を想像しなければ、理念「変化を生み出し、成長の感動をメイキングする」の実現など果たせる筈もなく、我々は、生徒の資質・能力や人間性に依存した虚しい労働を重ねることとなってしまう。←※過激な物言いですが、教育に蔓延る一側面だと思っています。

 

フロムはこうも言っています。

幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。

成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。

未成熟な愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、

成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。

 

塾内の現象に置き換えるとこうなるだろう。

幼稚な愛は、

「自分のことを慕ってくれる生徒は大事に扱う。」※条件付き動機

成熟した愛は、

「生徒へ共感的・肯定的に接し、成長への具体的な助言を提供することで、生徒から信頼される。」※内発的動機

未成熟な愛は、

「生徒が指示を守ったら教えてあげる。」

「自分の評価に繋がる項目のみ生徒へ指導する。(過剰な営業提案など)」※条件付き動機

成熟した愛は、

生徒の人生が好転していくことを願い、その方法を提示し進捗を指導する。」※内発的動機

 

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条件付きの取引ばかりする人って総じてイヤな奴ですよね...。

文字に起こしてみると、何とも稚拙な行為と思うかもしれないが、教育現場にはこのような場面が少なからず存在する。また、条件付き動機なのか、内発的動機なのかの違いも見えてくると思う。

様々な状況や行為の中に存在する「隠れた悪」を丁寧に阻むことができる人はそうはいない。ましてや、忙しい時期なんてのは兎角その状況や環境に居合わせる「関係性上の弱者」のせいにしがちなのも人間の持つ悪い部分である。しかし、だからこそ、これに挑んでいくことは、自身の人間性を磨くことに他ならないし、他者・他社との差別化が図れる部分でもある。「生徒のせい」にしていませんか?今一度振り返り、注意深く自身を見つめることが”「隠れた悪」を丁寧に阻む”1歩になっていきます。

 

また、フロムは、こうも言っています。

自分自身を「信じている」者だけが、他人に対して誠実になれる。なぜなら、自分に信念をもっている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想しているとおりに感じ、行動するだろう」という確信をもてるからだ。自分自身に対する信念は、他人に対して約束ができるための必須条件である。信念をもつには勇気がいる。勇気とは、敢えて危険をおかす能力であり、苦痛や失望をも受け入れる覚悟である。(略)愛されるには、そして愛するには、勇気が必要だ。ある価値を、これが一番大事なものだと判断し、思い切ってジャンプし、その価値にすべてを賭ける勇気である。人は意識の上では愛されていないことを恐れているが、本当は、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。

 

www.rissi.work

これに関しては、最近代表がよく口にしている「生徒や保護者に対して、面談や指導を通して目標点数を宣言してしまおう。」に通じます。要するに「自信のある人間にしかそんなことはできないじゃん!?」と思われるかもしれないけれど、決してそうではありません。上記にある通り、生徒への愛情を注ぐことで、例え自身が注いだ量より見返りが少なくとも、少しずつ少しずつ自身の業務レベル向上に繋がるよう各種業務の集計数値を追求することで、全員までとは行かずとも、その場に居合わせる大多数の生徒に「想い」や「愛」が伝わります。厳しい言い方をすれば、「自習」「補習」程度の呼び出しに応じてもらえないことに無意識に恐怖してしまうことで生ずる「変化・成長の機会損失」の代償は非常に大きい。それは、自身の人生においても、生徒の人生においても。自ら愛を注ぐことに及び腰な人は、僅かな愛情しか受け取ることがない。

僕は、生まれてきた以上、「超、愛されたい。そして、超、愛したい。」人も物も事も仕事も自然も文化も芸術も。

No pain , No gain. No effort , No effect. No love , No change.

その為には、「Love,Live,Life」

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僕が大学時代、ISETANのフェラガモで見た広告のキャッチコピーで、それ以来好きな言葉として心にある言葉です。解釈は自由ですが、このように生きたいと思う言葉です。

適切な提案には強い使命感と責任が宿る

二学期も中盤に差し掛かり、受験学年はクライマックスへ。2年生は受験へのスタートを意識する季節です。現在、個別部門は冬期講習面談に向け準備が進んでいますが、そこでの提案も生徒の「合格」や「変化・成長」に結びつくものでなければなりません。現状の提案リストは「提案」ではなく提案後の「予想着地点」を記載している側面があります。まずは必要な講座を提案し、そこで家庭の予算面や学習計画等を話し合っていけば良いのです。もしも、医者にかかった時に「適切に診断」されず、また、「必要な医療行為の提案」もされず、病状が回復しない時、私たちはその医者を信用するのでしょうか。高額なサービス(医療・弁護士・コンサルティング等)には高い専門性を求め、その対価として料金を支払います。当然、高い料金を頂く以上、失敗は許されません。講座数を多く提案しなければならない時、生徒に大幅な改善を要求する時、私たちはそれ相応の「プレッシャー」を負うことになります。しかし、そのプレッシャーに挑んでいくこと(授業力向上・進路情報の提供・地方と都市部の情報格差を埋めるための情報提供等の追求)こそが自分たちの成長、サービスの質の向上に繋がり、その結果として信頼を勝ち取り、自身やサービスの価値が向上・浸透していきます。我々も、「子供たちの成績を上げる専門家」であるはずです。「生徒たちが可愛い。」「この子達の成績をなんとかしてあげたい。」「意欲的な生徒へ更なる成長の機会を提供したい。」このような想いは皆さん必ず持っていることと思います。その「想い」を業務に宿らせてこその「愛」です。

 

まとめ

今回は、愛という不確かなものを、エーリッヒ・フロムの言葉を例に展開していきました。愛という抽象概念と、生徒への指導という具体を行き来する読解力が求められる内容でしたが、これこそがAI時代に生きる私達が身につけていくべき「真の国語力」であり、「読解力」でもあります。

これまで、関わりの濃かった数名の社員には伝えましたが、今回皆さんに一律にお伝えしてみようと思います。前職の学級通信やこの幹部ブログで意図しているのは、3000~7000字(学級通信は2000字程度)の文語体で書き、具体と抽象が行き来する文章を意識して書いています。その理由は、大学入学共通テストにおける現代文の字数がこの文量であることと、具体と抽象が織り交ぜられ書かれている点にあります。(語彙レベルは平易なものを心がけており、学者や作家の書いた名著の抜粋と比較するまでもないので悪しからず…。)また、教育系Youtuberの小林尚(東大文1卒→戦略系コンサル→個別指導塾CASTDICE社長)が分析した「灘高入試、大学受験MARCH入試と同じくらい難しい説!」で述べているように、

www.youtube.com

MARCHレベルは語彙や知識レベルを求められるのに対して、灘は知識があっても読み解くことが難しい「読解力」を求めらるため、語彙の難易度はMARCHに分があるが、読解力は灘高の方がはるかに難しいとしています。そして、この具体と抽象の行き来が、クリエイティブに仕事をしていけるかどうかの境界線になっており、実社会の中に存在する「見えない線」でもあるのです。

 

「境界線を越えていけ!」

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我々は、学習塾を生業としている。

生徒の人生を「学習面で」サポートすることを通して、

変化を生み出し、成長の感動をメイキングする。

この理念実現のもと、自分たちも言語力・読解力・思考力・判断力・表現力を身につけるべく、互いに情報発信していきましょう。

代表のブログタイトルは「夜明け前」ですが、

今、まさに「夜明け」の境界線を越える

組織の幕開けであるとここに宣言し、

成長への1歩を共に歩んでいきたいです。

 

文責:佐野

2020年度大学入学共通テスト分析

9月16日(木)に学文社主催のセミナーに田村先生と出席してきました。

内容は駿台予備学校の先生より大学入学共通テストの概要説明および入試動向の報告と広島の欧州塾がされている小学生向けのスピーキング教材の営業でした。今回は、駿台予備学校の先生の講演内容共有します。

ブログでは講演内容の中でも特に知っておいて欲しい情報のみをまとめました。生徒指導、面談にて使えるネタにもなると思いますのでよく読んでおいてください。

また、今回の講演会の資料と録音データはサイボウズにて共有しますので興味のある方は詳しく見てください。

2021年度大学入学共通テスト結果

1.浪人生受験者の減少

入試制度が変わることで浪人を敬遠した生徒が多く、昨年度に比べて約20000人減少。

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2.受験率の低下

コロナ禍でもあり、出願者数に対しての受験者数が昨年度よりも大幅に減少。

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3.理科、社会で得点調整が実施。

共通1次から現在まで得点調整が行われたのは過去4回のみ。同一教科内での受験科目による不公平を是正するため、平均点が20点以上開いた場合にのみ実施されます。

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4.制度変更2年目以降は難化傾向

過去2回の制度変更後の初年度はいづれも前年に比べ易化傾向になり、2年目以降は初年度に比べると難化傾向。

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5.全科目において、問題文の分量は増加、資料・グラフが多用された。

どの科目においても資料・グラフの活用を求められる問題が増えています。

また、問題文の分量も増えているので正確に早く解答に必要な情報を読み取る力がセンター試験に比べより求められています。

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6.昨年度の入試は「3C入試」

 ①コンパクト(Conpact):安全志向、長距離移動しない。

 ②保守的(Conservative):新テストによる大きく入試制度を変更した大学を嫌う。

 ③利便性(Conveience):大学入学後の受験生の負担が少ない大学が人気。

 コロナ禍は続いているので昨年度ほどではないが、続く傾向はある。

 上記の結果、難関大学は志願者大幅減。

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おススメ生徒指導ポイント

1.マークミスが多い。

特にリスニングは大学入学共通テストから問題文を読むのが1回になり、その影響でマークミスをする生徒が多い。模試結果を見て自己採点との誤差を確認して誤差が大きい生徒については指導しましょう。

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2.マーク模試の分析方法

受験は、基礎・基本が大事。難問・奇問が解けるよりもみんなが正解しているところで落とすと不合格になりやすい。全体の正答率と自分の正誤表を見比べて、正答率60%以上の問題で落としている問題は必ず直しをさせましょう。

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以上になります。2番目の分析方法は、一般的にはS-P分析と呼ばれる手法です。これはマークテストに限らず記述式のテストでも活用できるものですので、小中学生に模試を返却する際に、設問の平均正答率を下回っている問題に関してはテスト直しをするように指導してもらうといいと思います。

 

今後、セミナーなど外で仕入れた情報は随時この場にて公開していきますので蓄積されている情報をアップデートしていってください。

生徒の成績が上がる授業テク!【予習編】 

「想いは手法の上流にあり、しかし手法なき想いは無力なり。」

吉田松陰

 

この言葉は、僕の好きな言葉の1つで吉田松陰の言葉です。

佐野先生はモチベーションについて、田村先生は仕事に対しての心構えなど、「想い」に重心をおいたメッセージが続きました。また、「業務を仕事に」から「仕事をゲームに」という視点を①気づき~⑤アクションの強化&練度の向上に至るまで具体的に書かれており、業務改善のヒントにつながるポイントが数多くありましたね。

そして今回、業務改善として中心に考えるべき「授業」について具体的な観点を書いていきますので、ぜひ活用してみてください。

 

「想いは手法の上流にあり、しかし手法なき想いは無力なり。」

この言葉にあるように、手法や小手先の技術に留まるのではなく、大義=「理念の実現」や「先生方の生徒への想い」を具現化した授業を行えているのか、常にセルフチェックし、修正・改善していかなければ、時間の流れとともに劣化した手法(技術・手法)で授業を行ってしまっている可能性があるため、想いを大切にするのと同時に、手法の改善の重要性を説明したいと思います。そこで、今回は僕の塾歴23年の中で培った授業改善の観点・手法について書いていこうと思います。

 

 

 

                     

ざっくりと自己紹介します! by沖汐俊之 

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ご存知の方もいれば、そうでない方もいらっしゃると思うので、前提を揃えるために僕のキャリアについて少し触れておきます。僕は、兵庫県姫路市の隣にある太子町出身で、地元の公立進学校から姫路工業大学(現兵庫県立大学)の理学部に進学し、18歳から地元の学習塾でアルバイトを始めました。約5年間アルバイトの後、塾人としての歩んでいくことを決意し、大学院を中退しました。23歳の夏のことでした。

業務内容は、立志における京進と似ており、公立進学校の生徒対象に、高1、2生への数学の集団指導、高3への代ゼミの進捗指導を行っていました。メインのターゲット層である龍野高校は、1学年320名の高校で、入社当時は、1学年10人~15人程度の在籍で、3学年合計で最大60名程度でしたが、在任期間の10年間のうちの5年目で在籍生徒200名の教室にすることができました。

今年度のテーマになりうる言葉かもしれない「変態性」というワードから、 現職の個別指導の観点ではなく、キャリアの中で身につけてきた集団指導の観点について数回に分けて書かせていただきます。

 

今回の第1回目のテーマは、「授業の予習」についてです。

僕が予習をする際に留意することの中で、最も基本的な3つを紹介します。

1つ目は、新たに扱う単元における「既習単元との接続」について

「未知」と「既知」の接続部分がどこにあるかを確認しなければ、集団指導として、生徒全員を効果的に理解させることが難しくなってしまうからです。生徒たちが「分かりやすい」と感じる授業の要素で一番大切なことは、「指導単元が自分の既知に近接しているか」どうかです。特に高校数学では、概念の抽象度こそ上がってしまいますが、中学内容に比べ実に見事にな単元が積み重なっています。

EX.高1で学習する単元「展開」について

そこでは、

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の公式が出てきます。これを公式の暗記として処理することもできますが、中学内容との接続として(a+b)1つのものとしてとらえることで既知とするならば、

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としてとらえる事ができ、未知としてとらえなくても解けます。このように生徒が新しく学ぶ問題・単元が前学年のどの単元または考え方に接続できるかをよく見てみましょう。

単元の繋がりを理解する知的好奇心・既習事項の組み合わせだけでも解ける!という驚きの提供・高度な高校範囲という不安感を取り除くこと=安心感の提供にもなり、生徒がより主体的に授業に参加するきっかけにもなります。

 

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2つ目は、例題に使用する数字の設定について

数学の科目特性として正解に至るまでの過程が二段階あります。第一段階として、正解を導くために必要なプロセスとしての「解法の暗記」ができているか、第二段階として答えと同じ数字を算出できる計算力(四則演算※通分・約分も含む、移項処理etc)が必要です。多くの生徒はこの構造に対して無自覚です。

 

つまり、指導する側はこの構造を意識し、生徒が単元の構造を理解するパートである「解法の暗記」段階と、正解に辿り着くために必要な「計算力」を身につけさせるパートである「演習」を授業構成として効果的に組まなければ、クラス内の各生徒の理解度の差により、授業の空気感(理解している生徒とそうでない生徒の状態:顔色、演習速度、正答率)が大きく変わってしまいます。

 

我々が授業を行う上での最低限の到達地点は、「生徒が自力で指導した問題が解ける」ようになることです。そのためには、例題として提示する問題の計算が複雑になってしまう場合、途中計算でのミスが生じやすくなり、単元に対する印象が「難しく」感じ、苦手意識を植え付けることになります。言い換えれば、生徒の苦手意識を作り出す元凶になってしまう可能性があるという事です。

 

このような観点から、授業で扱う例題に用いる「数字」は極力簡単な途中計算になるよう設定しなければなりません。「解法を覚えていくこと」のみに生徒の意識がいくように心がけています。その上で、授業で扱う演習問題の数字に関しても同じ工夫をしましょう。

 

他にも、生徒が演習中の時には、机間指導を行っていると思いますが、解いている生徒のノートが授業者のイメージした通りになっているかどうか、計算ミスを誘発して手が止まってしまっていないか等の確認をします。もし、解き方が誤っている生徒が2名以上いた場合は、自身の解説が悪かったと認識しましょう。

これらに対し、注意深く授業を行い、修正の必要が生じた場合は、必ずその場でメモを残し、授業改善に繋げていくことで、授業力は向上していきます。ただし、生徒の学力層や基礎領域の定着度合いの違いによって、上記の全ての項目を練り直さなければならないことも留意しなければなりません。

この点を「教務」の価値観の中心に据えているだけでも、より多くの生徒に対し、より多様な学力層の生徒に対し、自身の授業の価値を提供する事に繋がります。このような微細な修正の積み重ねが生徒数拡大に必要な基礎体力を高めていきます。集団指導に携わっている先生は是非一度確認してみてください。 

 

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最後に3つ目は、「単元を抽象化して理解する力」について

これは使用する公式や理論が「どんな時に必要で」「どのように使用するのか」「要はこの問題は〇〇を求められているから、この公式を使おう!」などの観点を簡潔にまとめる判断力のことです。現在、入試や各学校のテスト等で求められている「思考・判断・表現」において非常に重要な能力です。生徒が入試等で求められる資質になるため、授業において、授業者がこの観点を見極められているかが、後の生徒の得点に大きく影響することは、言うまでもありません。

EX.高校範囲の様々な直線を求める問題について

代表的なものに「2点を通る直線」や「接線」、「垂直二等分線」等があります。教科書では例題と解説がセットで記載されており、単純暗記&短期記憶で解けてしまう側面がありますが、直線を求める式には「傾きと通過点」の2つの要素が必要だという「思考力・判断力」が身に付いていなければ、様々な問題が入り乱れて出題されるテストや模試、ひいては入試において得点することは難しいでしょう。

生徒には、例題を暗記させることの先に、単元において理解すべき「概念」の部分まで判断できる力を身につけさせる必要があります。これは、授業の中での演習に止まらず、宿題、確認テスト等の結果から、注意深く生徒の回答を見つめなければ、テスト&模試結果が返却された時に、「こいつ、できてないやんけ」と生徒に対して責任転嫁する結果になってしまい、計画的・組織的に生徒の得点を向上させることから「かけ離れていきます。」つまり、授業者はこれらのことを深く理解し、授業・宿題・確認テスト・自習におけるまで、生徒がどのような状態にいるのか、見極められるよう、単元における自身の深い理解を身につけておきましょう。

 

今日は、授業の予習をテーマに気を付ける3つの要素を書いてみました。

僕が長年集団指導に身を置いてきた中で「先生の力量以上に生徒は伸びない。また、先生に力量が無ければ、生徒数を維持できない。」ということを痛感してきました。現在、集団指導という形態は、最難関層でこそシェアを握っていますが、ボリュームゾーンにおいては全国的に個別指導や自立学習系に比べ苦戦しています。しかし、「生徒募集で苦戦している教室は授業が良くない」という仮説を持ち、授業改善を推進することで、自教室の生徒の成績が向上し、口コミや紹介に繋がり、シェア拡大に繋がります。

僕が自身のキャリアの話を書いた理由は、決して自分の実績を自慢したかった訳ではなく、兵庫県の田舎町で何もわからない20代の教室長でも、なんとか現状に対する工夫を諦めなければ、東進をはじめとする大手塾・予備校が競合になったとしても、地域シェアNo.1は獲得できるのです。

集団部門では、授業の映像の録画が始まっていると聞いています。是非、自身の授業を見直したり、他の先生方との授業に関する議論を通して切磋琢磨し、自分のレベルアップを推進してみてください。

 

最後に、冒頭の吉田松陰の言葉に返りますが、

”「想いは手法の上流にあり、しかし手法なき想いは無力なり。」”

今回、僕は授業の手法(予習編)をお送りしたのですが、この言葉にあるよう、手法の追求をしたかった訳ではなく、生徒の成績向上や、地域の子供たちへの受験を通した成功体験の提供を目的とし、その想いを果たすため、飽くなき自己否定としての「授業改善」を行ってきたということを、皆さんに紹介したかったのです。

想いの核を大切に、修正し続けることを始めていきましょう。

 

文責:沖汐 俊之

「仕事をゲーム化し、そのゲームの達人になる!」

みなさんこんにちは! 佐野です。

先日は4時間にも及ぶ長丁場の総会、本当にお疲れ様でした。

1学期総括、各種KGI・KPI、1/6・1/580・1/8001等数値の話、自習徹底、補習推進、仮説が道を拓くこと、各部門の重点課題、社員学力テスト、代表の挨拶と、膨大な情報を一方的にインプットしなければならない状況でありながら、みなさん真剣に参加していただいたこと、この場を借りて感謝申し上げます。

さて、総会のため、大分時間が空いてしまいましたが、ブログを再開します。

 

前号は、田村先生のバレーボールの練習風景をメタファに、与えられた役割・義務に対して主体的に取り組むための気持ちの持ち方、また、その気持ちから派生する行為の中に潜む生産性・効率性にまで踏み込むという、非常に示唆に富んだ内容でした。

 

人は、「面倒なこと」「役割上仕方なく請け負わなければならないこと」に対して、どうしても「受け身」になってしまいます。強い目的意識や、メンタリティがなければ、いきなりそのアクション(効率化や合理性を追求した行動)はできません。

 

田村先生の記事では、そんな状況を楽しみながら乗り越えていけるヒントが隠されており、その解釈を書くことで、みなさんに繋いでいきたいと思い筆を取りました。

 

田村先生へのアンサー投稿として、今回テーマにするのは、

「仕事をゲーム化し、そのゲームの達人になる!」です。

スーパーマリオブラザーズ」を例に話を展開し、そのプロセスを明らかにしていきたいと思います。大きな流れは下記の通り。

発見・気づき

細かく観察 → 分析する → 仮説を立てる

アクションを変えてみる

仮説の検証 → 確信へと変わる

アクションの強化&練度の向上

 

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※1983年に任天堂から発売された家庭用ゲーム機「ファミコン」における超ヒット作のソフト(1985年)。 ユーザーが説明書も読まず、チュートリアルも無しに、プレイ体験を通してゲームの特性を「覚えていってしまう」という観点から、現代ビジネスおける「ユーザー体験」を考える上で非常に秀逸であると称賛の声が多いことから、この度本ブログで紹介してみようと思います。

 

発見・気づき

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通称「クリボー」。ジャンプで踏めば倒せるし、直進して当たるとマリオが死んでしまいます。


初心者だと、自分に向かって歩いてくるのクリボーを待って、クリボーに当たる直前で垂直にジャンプし踏むことで倒すのですが、それでは時間がかかりすぎてしまい、制限時間内にステージクリアすることが難しくなってしまいます。

つまり、ゲームを始めていくにあたり、

(1)クリボーの倒し方自体の認識

(2)クリボーがやって来るのを待っていては、大幅なタイムロスになる。

という2点に気づくかどうかが非常に重要です。

(※他にも、ノコノコの倒し方、土管の入り方、穴に落ちたら死ぬ、海のステージの泳ぎ方など複数ありますが、ここでは省略します。)

 

田村先生の記事にもありましたね。

「アタック練習」のボールひろいは最悪だ。ある日「ボールを取りに行って、腰を落として拾い上げる姿勢が一番キツイ」と言うことに気がついた。

最初の「気づき」として、このように思ったことで、ボール拾いという「業務」を改善に導く「問い」や「仮説」に繋がっています。「終わりよければ全てよし」という言葉には、対になる言葉があります。「初めよければ終わりよし」最初に気がつけなければ後々の改善は生まれ得ません。「気づき」が仕事を創造的なものに変えていきます。

 

Point1.

生徒への指導も同様に、生徒の教科ごとの得点、受講科目の理解度、性格や気質をインプットした上で指導に臨まなければ、悪い結果を全て生徒の"せい"にしてしまい、その結果、自身の指導力のレベルアップから遠のいてしまいます。気付くようになるためにはKPIの数値に関心を持ちましょう。

 

細かく観察 → 分析する → 仮説を立てる

マリオ自体を動かすために必要な操作性、ゲームの中で出てくる敵の特性、「?ブロック」を下から叩くとコインやアイテムが手に入ること等のゲーム特性を一定量理解したところで、次にやって来るのは「敵毎の特性の違いやステージ進行上の条件」を分析し、効果的に操作することです。そのためには、ゲームの画面上で「今、何が起きているのか」の状況を観察し、認知・認識・判断する力が必要です。また、「ステージクリアを目的にした操作性の追求」が必要になってくるため、十字キーがそれぞれの方向を決める機能を持つこと、Bボタンを押し続けながら走る通称「Bダッシュ」や、やってくる敵の速度を逆算し、Aボタンを押し「ジャンプ」することで、敵を踏み倒すという細やかな操作の連なりを駆使しなければなりません。

ここで必要になるのは、

自らが進む速度・向かってくる敵の速度と動き・ジャンプの距離&滞空時間等を総合的に判断し、どのようにゲームを進めていくか仮説を立てることです。ここでの観察→分析→仮説が次の段階である「③アクションを変えてみる」に繋がっていきます。

 

田村先生の記事では、

「もし、ボールが転がっていってしまう前に、ワンバウンドでボールをキャッチできれば、しゃがんでボールを拾わなくて済むんじゃない?」

ただひたすら一人一人の動きを観察したのだ。

「○○先輩はアンテナまでのびたトスに対してはストレートよりクロス打ちが好き」

「助走のまえの立ち位置や、その角度によってアタックコースを変えている」

「ネットに近いときはブロックアウトを狙っている」など、とにかくじっと観察だ。

といった風に、仮説を立てまくっていますね。

「球を拾う」のに、もはや球を見ていません。打つ人の特性や前段階の動きから近未来を予測しているからなのでしょう。

(1)ワンバウンドで拾うと楽だし疲れない。←最初の気づき

(2)「ワンバウンドで拾うため」に必要な各種条件を見つけ出すための、先輩の動きの観察・分析・仮説・状況判断

これらの組み合わせでようやく球を拾うための体の動かし方の方向性が決定してきます。

 

Point.2

生徒への指導も同様で、生徒の特性(教科ごとの得点、受講科目の理解度、性格や気質)を改めてインプットし直し、その生徒を「どのような状態に」持っていくのか作戦を立てなければなりません。また、その作戦を記録化し(ゲームの場合は脳や神経によって身体知や暗黙知となる)、継続的に活用・共有・改善することで、現状を打破することができます。

生徒ごとの作戦を立てる(カリキュラム・A/B表)段階が一番重要なのですが、残念ながらそれを記録に残してアーカイブしたり、後輩社員の育成のための資料として共有することが教育業界では余りに行われません。そのせいもあり、指導の観点やノウハウがそれぞれの授業者の「自分の経験則」による逸話に留まってしまい、「ステージクリアを目的とした最も効果性の高いアクション」というレベルまで磨いたものを共有するといった段階まで昇華されていない場合が多く、このことは非常に残念に思っています。※生徒の成績向上、教室の生徒数向上を目的としたゲームの攻略本でもあればいいのになぁ...。などと思ってしまいます。とほほ...。

この項目は、授業等の通常の指導に留まらず、現在、全社的に推進している「自習来校」「補習実施」での生徒への声かけ方法の追求といった観点においても活用できるので、とにかく「観察→分析→仮説」の力を磨きましょう。

 

次は、ようやくアクションの変化!

③アクションを変えてみる

②で挙げた自らが進む速度・向かってくる敵の速度・ジャンプの距離&滞空時間等を総合的に判断し、仮説を立てることにより、いよいよ具体的なアクションへと段階は進んでいきます。自分で立た仮説を基に行動することは、本っ当に勇気が要ります。なぜなら、失敗した場合に「仮説が間違っていたのか?」「自分は無能なのか?」無意識に問われてしまうからです。しかし、ここで及び腰になれば、必ず失敗します。詳しくは、下の画像を。

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クッパ城。橋の下にはマグマがあり、下から火の玉がボンボン噴き上げる...。また、マリオの身長の3倍程度もある火柱が時計回りでグルグル回転している。さらに酷いことには、クッパは口から炎を吐いてきます。何度も何度も。なんてこった....。本気でマリオを殺す気やんけ。クッパを倒すには各必要条件を満たす一瞬に「針に糸を通す」感覚が求められる。腹を括って決意し、ベストなタイミングで一気に駆け抜けなければ死んでしまう!?このように、状況判断の要素が多い中での「決断」の積み重ねこそ、ゲームの熟練度の飛躍的な向上に繋がるのは、言うまでもないだろう。

田村先生のブログでは、

自分でコース予想を立てて、あらかじめ動いてみる。

ワンバウンドでキャッチ。

おおおおおおおおおお〜!!!!!!!!

Great!!!!!!!!

仮説が実証された瞬間!決断の積み重ねのTAMAMONO〜!エクセレントですね〜。

これは田村先生の高校時代のエピソードなので、仮説に基づき行動した結果、即実現!みたく書かれていますが、実際はどうだったのでしょうか...。仮説に基づき、脳内で自分の動きをイメージし、実際にそのイメージ通りに動くことができ、且つ、結果も想像通り!なんて、1発でうまくいくことなんて中々あり得ません。そんな全身運動神経人間みたいなことは、ハンマー投げ室伏広治か、百獣の王である武井壮くらいしか不可能ではないのでしょうか。

(※立志のお洒落レディ田村先生を室伏や武井壮だと言っている意味では決してありません!)

 

実際には、きっと、1回目に動いた後に、僅かに上手くいかなかった部分をメタ認知し、微細な動作の調整を施し、徐々にイメージした自身の動きに近づいていき、何度かの試行の後にイメージした状態と結果が同様の状態になったのではないかと思います。

 

Point.3

授業はある程度「型」で勝負できる。しかし、本当に仮説を基にアクションの修正をし続けなければならないのは、「面談」であり、「面談における提案」を最高潮に持ってこないのは×である。

 

代表や各部門長が「失敗してもいいからチャレンジして欲しい」と口を揃えて言うのには、このような改善に向けた工夫が「失敗の中に潜んでいる」ことを、ご自身の経験から痛切に感じているからではないでしょうか。恐れずに言うのであらば、その「数々の失敗の中で獲得してきた身体知や暗黙知のようなもの」なくして、今のご自身を語ることは難しいと言わしめるシロモノだからではないのでしょうか。かく言う私自身も、美術部&佐野塾在籍生徒の「難関大学全員合格」(30名〜40名/年度)を実現できたのは教員経験13年のうち2回程度で、毎年数多くの生徒が合格する中で、「私1人だけ不合格」という生徒を必ず生み出してきてしまったことを絶対に忘れずに、次年度以降の指導に反映させてきたからです。合格者を沢山輩出することより、たった一人の不合格者が出てしまうことは本当に惨たらしいもので、卒業後「引きこもりや」「鬱病」に陥ってしまった生徒も何人も存在する。

我々教育に従事するものは、「合格実績や伸びた生徒の事例ばかり語り、自身の指導により叶わなくなった未来を引き受けていくであろう若い屍の上に立っている」ことを忘れるべきではない。この圧倒的現実を見失わないことが、更なる自身の指導力向上に繋がり、自身を「イメージの先の世界」へ連れていってくれることに他ならない。

少し熱くなりすぎ、私自身のエピソードに寄ってしまったので、軌道修正を。

ポジティブに言うのであれば、イメージと現状を確認し、その差を詰めていくこと。ネガティブに言うのであれば、建設的に飽くなき自己否定を。イメージ通りにコトが動いた瞬間の感動や快感と、そうならなかった時の自己否定の苦しさ、自己への不完全感の悲しみの両方を天秤にかけ、「そのどちらを自分は引き受けていくのか」。その選択を問われます。必ず。

それを真摯に受け止めることを止めず、行動に繋げることで現状は必ず変わります。

面談における提案は、「自分の言葉」そのものです。

その、言葉の力を最大限に高めるための、不断の努力が必要なのです。

 

仮説の検証 → 確信へと変わる

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全ステージクリアの後のエンディング画面。ピーチ姫を救い出し、初めてのゲームクリア。ここでゲーム自体は終了しますが、各ステージをクリアした「身体知・暗黙知」は経験値としてプレイヤー自身への感覚として遺り、次に行うときにはもっと楽に早くクリアできるようになるでしょう。

田村先生のブログでは

  次も・・キャッチ。

「おお!できるじゃないか!!」

「腰を落としてボールを拾う」回数が減ったのは言うまでもない。

 

Point.4

上記項目でも書きましたが、この瞬間こそが「実感」なんだと思います。自分の仮説に対する信頼は、やがては「自らを信じられる状態」即ち「自信」に変容していきます。また、想像した通りに行動出来た自分に対して、なんともむず痒い喜びが滲んでくるでしょう。それは自己肯定感とも言い換えられるでしょう。自信や自己肯定感の高まりは、思わぬ副産物を与えてくれます。それは、生徒からの「この人を信用してみようかな?」という「信頼への入り口」が生まれてくるキッカケになります。何事においても、自身の無さそうな人を頼るより、自身のありそうな人にこそ、人は自分の身や心を預けたくなるものです。

 

アクションの強化&練度の向上

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田村先生は

 それよりも何よりも、私が嬉しかったのは

 あの苦痛に満ちたボール拾いを

「楽しい!」と心底思えるようになったことだった。

田村先生が「球拾い」を「ゲーム化」した状態の完成形だと思います。球拾いを心底楽しいと思えるメンタリティの中には、必ず「夢中」が存在しています。「夢中最強。」

ある一つの「突き抜けた体験」は、それそのものの技能に留まらず、普遍的な人生哲学のようなモノを我々に見せてくれる。具体的な体験に差異があるにも関わらず、抽象概念的にはある種の共通の法則性をそれぞれ別の事柄の中に見出すためだ。(※田村先生がバレーを比喩に用いたのもその1つだと思う。)一流スポーツ選手と芸術家などの別のフィールドで活躍している者同士の対談の中で、互いに通じ合っている「共通の感覚」とはこういったものなのかもしれない。「1万時間の法則」なんかもこれに当たるのかもしれませんが、目的から逆算した、イメージに近づくための飽くなき修正の反復は、行為の実践者をその道のスペシャリストに押し上げていく。ただし、無作為に垂れ流してしまった1万時間はこれに該当しないように思う。この人達は、ただ時間を無作為に過ごしたために熟練度が上がらず、様々なことへの「不可能性」を語るようになってしまうことが多い。あくまで、目的を狙い続けた「ワンバウンドで球を拾う」行為からのみスペシャリストの道は拓ける。

 

studyhacker.net

また、田村先生は 最後にこう締めくくっている。

後になって「これはボール拾いをしまくったおかげ」と言うことも!

 アタックコースを読める。

みなさん、セレンディピティという言葉をご存知でしょうか。目的を真摯に追い続けると、当初の目的達成の有無に関わらず、行為に没頭している過程で本来の目的とは別の取得物(副産物)を手にすることがままあるということ。セッターは、相手のアタッカーの走り込む位置や角度から球筋を予測するだけでなく、味方のレシーブ→自分が上げるトスのイメージ→最後の最後まで誰に上げるか相手に悟らせない心理戦など、多様な資質・能力を求められるといいます。田村先生が兵庫県下で1.2を争う強豪のセッターだったことと、この球拾い体験の副産物である「コースを読む力」が結びついているかどうかは、いつか本人に聞いてみたいものです。また、人生体験として「おかげ!」となるのは、「若い頃の苦労は買ってでもしろ。」の言葉に通じるものがあります。今の努力は、未来の私を励ましてくれるもの。過去の自分の頑張りが今の私を支えている。そんなことも人生の喜びの1つかもしれません。

 

さて、今回は「仕事をゲーム化する」という観点からお話ししましたが、どうだったでしょうか?奇しくも今回の総会にて発表された各種数値やKPIの項目など、仕事をゲーム化していく上で必要な観点が沢山出てきたと思います。私自身、大きな学校組織改善に二度着手した経験がありますが、劇的に成果が変化していくまでの3年間の最初の1年に今年の立志は似ている様に感じます。今回の総会では、会員数状況から引いてきた数値なので、もしかしたら実態や先生方の感覚と異なる集計報告になってしまった部分があったかもしれませんが、

でも、あのような「数値を基にした事実や実態の検証」に着手できたのは、先生方の日頃の業務のお陰です。

役割こそ違えど、立志という神輿を担ぎ上げる担い手同士、切磋琢磨して頑張って行きましょう!

それでは、乱文・長文にも関わらず、お読みいただきありがとうございました!

 

文責:佐野