「仕事をゲーム化し、そのゲームの達人になる!」

みなさんこんにちは! 佐野です。

先日は4時間にも及ぶ長丁場の総会、本当にお疲れ様でした。

1学期総括、各種KGI・KPI、1/6・1/580・1/8001等数値の話、自習徹底、補習推進、仮説が道を拓くこと、各部門の重点課題、社員学力テスト、代表の挨拶と、膨大な情報を一方的にインプットしなければならない状況でありながら、みなさん真剣に参加していただいたこと、この場を借りて感謝申し上げます。

さて、総会のため、大分時間が空いてしまいましたが、ブログを再開します。

 

前号は、田村先生のバレーボールの練習風景をメタファに、与えられた役割・義務に対して主体的に取り組むための気持ちの持ち方、また、その気持ちから派生する行為の中に潜む生産性・効率性にまで踏み込むという、非常に示唆に富んだ内容でした。

 

人は、「面倒なこと」「役割上仕方なく請け負わなければならないこと」に対して、どうしても「受け身」になってしまいます。強い目的意識や、メンタリティがなければ、いきなりそのアクション(効率化や合理性を追求した行動)はできません。

 

田村先生の記事では、そんな状況を楽しみながら乗り越えていけるヒントが隠されており、その解釈を書くことで、みなさんに繋いでいきたいと思い筆を取りました。

 

田村先生へのアンサー投稿として、今回テーマにするのは、

「仕事をゲーム化し、そのゲームの達人になる!」です。

スーパーマリオブラザーズ」を例に話を展開し、そのプロセスを明らかにしていきたいと思います。大きな流れは下記の通り。

発見・気づき

細かく観察 → 分析する → 仮説を立てる

アクションを変えてみる

仮説の検証 → 確信へと変わる

アクションの強化&練度の向上

 

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※1983年に任天堂から発売された家庭用ゲーム機「ファミコン」における超ヒット作のソフト(1985年)。 ユーザーが説明書も読まず、チュートリアルも無しに、プレイ体験を通してゲームの特性を「覚えていってしまう」という観点から、現代ビジネスおける「ユーザー体験」を考える上で非常に秀逸であると称賛の声が多いことから、この度本ブログで紹介してみようと思います。

 

発見・気づき

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通称「クリボー」。ジャンプで踏めば倒せるし、直進して当たるとマリオが死んでしまいます。


初心者だと、自分に向かって歩いてくるのクリボーを待って、クリボーに当たる直前で垂直にジャンプし踏むことで倒すのですが、それでは時間がかかりすぎてしまい、制限時間内にステージクリアすることが難しくなってしまいます。

つまり、ゲームを始めていくにあたり、

(1)クリボーの倒し方自体の認識

(2)クリボーがやって来るのを待っていては、大幅なタイムロスになる。

という2点に気づくかどうかが非常に重要です。

(※他にも、ノコノコの倒し方、土管の入り方、穴に落ちたら死ぬ、海のステージの泳ぎ方など複数ありますが、ここでは省略します。)

 

田村先生の記事にもありましたね。

「アタック練習」のボールひろいは最悪だ。ある日「ボールを取りに行って、腰を落として拾い上げる姿勢が一番キツイ」と言うことに気がついた。

最初の「気づき」として、このように思ったことで、ボール拾いという「業務」を改善に導く「問い」や「仮説」に繋がっています。「終わりよければ全てよし」という言葉には、対になる言葉があります。「初めよければ終わりよし」最初に気がつけなければ後々の改善は生まれ得ません。「気づき」が仕事を創造的なものに変えていきます。

 

Point1.

生徒への指導も同様に、生徒の教科ごとの得点、受講科目の理解度、性格や気質をインプットした上で指導に臨まなければ、悪い結果を全て生徒の"せい"にしてしまい、その結果、自身の指導力のレベルアップから遠のいてしまいます。気付くようになるためにはKPIの数値に関心を持ちましょう。

 

細かく観察 → 分析する → 仮説を立てる

マリオ自体を動かすために必要な操作性、ゲームの中で出てくる敵の特性、「?ブロック」を下から叩くとコインやアイテムが手に入ること等のゲーム特性を一定量理解したところで、次にやって来るのは「敵毎の特性の違いやステージ進行上の条件」を分析し、効果的に操作することです。そのためには、ゲームの画面上で「今、何が起きているのか」の状況を観察し、認知・認識・判断する力が必要です。また、「ステージクリアを目的にした操作性の追求」が必要になってくるため、十字キーがそれぞれの方向を決める機能を持つこと、Bボタンを押し続けながら走る通称「Bダッシュ」や、やってくる敵の速度を逆算し、Aボタンを押し「ジャンプ」することで、敵を踏み倒すという細やかな操作の連なりを駆使しなければなりません。

ここで必要になるのは、

自らが進む速度・向かってくる敵の速度と動き・ジャンプの距離&滞空時間等を総合的に判断し、どのようにゲームを進めていくか仮説を立てることです。ここでの観察→分析→仮説が次の段階である「③アクションを変えてみる」に繋がっていきます。

 

田村先生の記事では、

「もし、ボールが転がっていってしまう前に、ワンバウンドでボールをキャッチできれば、しゃがんでボールを拾わなくて済むんじゃない?」

ただひたすら一人一人の動きを観察したのだ。

「○○先輩はアンテナまでのびたトスに対してはストレートよりクロス打ちが好き」

「助走のまえの立ち位置や、その角度によってアタックコースを変えている」

「ネットに近いときはブロックアウトを狙っている」など、とにかくじっと観察だ。

といった風に、仮説を立てまくっていますね。

「球を拾う」のに、もはや球を見ていません。打つ人の特性や前段階の動きから近未来を予測しているからなのでしょう。

(1)ワンバウンドで拾うと楽だし疲れない。←最初の気づき

(2)「ワンバウンドで拾うため」に必要な各種条件を見つけ出すための、先輩の動きの観察・分析・仮説・状況判断

これらの組み合わせでようやく球を拾うための体の動かし方の方向性が決定してきます。

 

Point.2

生徒への指導も同様で、生徒の特性(教科ごとの得点、受講科目の理解度、性格や気質)を改めてインプットし直し、その生徒を「どのような状態に」持っていくのか作戦を立てなければなりません。また、その作戦を記録化し(ゲームの場合は脳や神経によって身体知や暗黙知となる)、継続的に活用・共有・改善することで、現状を打破することができます。

生徒ごとの作戦を立てる(カリキュラム・A/B表)段階が一番重要なのですが、残念ながらそれを記録に残してアーカイブしたり、後輩社員の育成のための資料として共有することが教育業界では余りに行われません。そのせいもあり、指導の観点やノウハウがそれぞれの授業者の「自分の経験則」による逸話に留まってしまい、「ステージクリアを目的とした最も効果性の高いアクション」というレベルまで磨いたものを共有するといった段階まで昇華されていない場合が多く、このことは非常に残念に思っています。※生徒の成績向上、教室の生徒数向上を目的としたゲームの攻略本でもあればいいのになぁ...。などと思ってしまいます。とほほ...。

この項目は、授業等の通常の指導に留まらず、現在、全社的に推進している「自習来校」「補習実施」での生徒への声かけ方法の追求といった観点においても活用できるので、とにかく「観察→分析→仮説」の力を磨きましょう。

 

次は、ようやくアクションの変化!

③アクションを変えてみる

②で挙げた自らが進む速度・向かってくる敵の速度・ジャンプの距離&滞空時間等を総合的に判断し、仮説を立てることにより、いよいよ具体的なアクションへと段階は進んでいきます。自分で立た仮説を基に行動することは、本っ当に勇気が要ります。なぜなら、失敗した場合に「仮説が間違っていたのか?」「自分は無能なのか?」無意識に問われてしまうからです。しかし、ここで及び腰になれば、必ず失敗します。詳しくは、下の画像を。

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クッパ城。橋の下にはマグマがあり、下から火の玉がボンボン噴き上げる...。また、マリオの身長の3倍程度もある火柱が時計回りでグルグル回転している。さらに酷いことには、クッパは口から炎を吐いてきます。何度も何度も。なんてこった....。本気でマリオを殺す気やんけ。クッパを倒すには各必要条件を満たす一瞬に「針に糸を通す」感覚が求められる。腹を括って決意し、ベストなタイミングで一気に駆け抜けなければ死んでしまう!?このように、状況判断の要素が多い中での「決断」の積み重ねこそ、ゲームの熟練度の飛躍的な向上に繋がるのは、言うまでもないだろう。

田村先生のブログでは、

自分でコース予想を立てて、あらかじめ動いてみる。

ワンバウンドでキャッチ。

おおおおおおおおおお〜!!!!!!!!

Great!!!!!!!!

仮説が実証された瞬間!決断の積み重ねのTAMAMONO〜!エクセレントですね〜。

これは田村先生の高校時代のエピソードなので、仮説に基づき行動した結果、即実現!みたく書かれていますが、実際はどうだったのでしょうか...。仮説に基づき、脳内で自分の動きをイメージし、実際にそのイメージ通りに動くことができ、且つ、結果も想像通り!なんて、1発でうまくいくことなんて中々あり得ません。そんな全身運動神経人間みたいなことは、ハンマー投げ室伏広治か、百獣の王である武井壮くらいしか不可能ではないのでしょうか。

(※立志のお洒落レディ田村先生を室伏や武井壮だと言っている意味では決してありません!)

 

実際には、きっと、1回目に動いた後に、僅かに上手くいかなかった部分をメタ認知し、微細な動作の調整を施し、徐々にイメージした自身の動きに近づいていき、何度かの試行の後にイメージした状態と結果が同様の状態になったのではないかと思います。

 

Point.3

授業はある程度「型」で勝負できる。しかし、本当に仮説を基にアクションの修正をし続けなければならないのは、「面談」であり、「面談における提案」を最高潮に持ってこないのは×である。

 

代表や各部門長が「失敗してもいいからチャレンジして欲しい」と口を揃えて言うのには、このような改善に向けた工夫が「失敗の中に潜んでいる」ことを、ご自身の経験から痛切に感じているからではないでしょうか。恐れずに言うのであらば、その「数々の失敗の中で獲得してきた身体知や暗黙知のようなもの」なくして、今のご自身を語ることは難しいと言わしめるシロモノだからではないのでしょうか。かく言う私自身も、美術部&佐野塾在籍生徒の「難関大学全員合格」(30名〜40名/年度)を実現できたのは教員経験13年のうち2回程度で、毎年数多くの生徒が合格する中で、「私1人だけ不合格」という生徒を必ず生み出してきてしまったことを絶対に忘れずに、次年度以降の指導に反映させてきたからです。合格者を沢山輩出することより、たった一人の不合格者が出てしまうことは本当に惨たらしいもので、卒業後「引きこもりや」「鬱病」に陥ってしまった生徒も何人も存在する。

我々教育に従事するものは、「合格実績や伸びた生徒の事例ばかり語り、自身の指導により叶わなくなった未来を引き受けていくであろう若い屍の上に立っている」ことを忘れるべきではない。この圧倒的現実を見失わないことが、更なる自身の指導力向上に繋がり、自身を「イメージの先の世界」へ連れていってくれることに他ならない。

少し熱くなりすぎ、私自身のエピソードに寄ってしまったので、軌道修正を。

ポジティブに言うのであれば、イメージと現状を確認し、その差を詰めていくこと。ネガティブに言うのであれば、建設的に飽くなき自己否定を。イメージ通りにコトが動いた瞬間の感動や快感と、そうならなかった時の自己否定の苦しさ、自己への不完全感の悲しみの両方を天秤にかけ、「そのどちらを自分は引き受けていくのか」。その選択を問われます。必ず。

それを真摯に受け止めることを止めず、行動に繋げることで現状は必ず変わります。

面談における提案は、「自分の言葉」そのものです。

その、言葉の力を最大限に高めるための、不断の努力が必要なのです。

 

仮説の検証 → 確信へと変わる

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全ステージクリアの後のエンディング画面。ピーチ姫を救い出し、初めてのゲームクリア。ここでゲーム自体は終了しますが、各ステージをクリアした「身体知・暗黙知」は経験値としてプレイヤー自身への感覚として遺り、次に行うときにはもっと楽に早くクリアできるようになるでしょう。

田村先生のブログでは

  次も・・キャッチ。

「おお!できるじゃないか!!」

「腰を落としてボールを拾う」回数が減ったのは言うまでもない。

 

Point.4

上記項目でも書きましたが、この瞬間こそが「実感」なんだと思います。自分の仮説に対する信頼は、やがては「自らを信じられる状態」即ち「自信」に変容していきます。また、想像した通りに行動出来た自分に対して、なんともむず痒い喜びが滲んでくるでしょう。それは自己肯定感とも言い換えられるでしょう。自信や自己肯定感の高まりは、思わぬ副産物を与えてくれます。それは、生徒からの「この人を信用してみようかな?」という「信頼への入り口」が生まれてくるキッカケになります。何事においても、自身の無さそうな人を頼るより、自身のありそうな人にこそ、人は自分の身や心を預けたくなるものです。

 

アクションの強化&練度の向上

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田村先生は

 それよりも何よりも、私が嬉しかったのは

 あの苦痛に満ちたボール拾いを

「楽しい!」と心底思えるようになったことだった。

田村先生が「球拾い」を「ゲーム化」した状態の完成形だと思います。球拾いを心底楽しいと思えるメンタリティの中には、必ず「夢中」が存在しています。「夢中最強。」

ある一つの「突き抜けた体験」は、それそのものの技能に留まらず、普遍的な人生哲学のようなモノを我々に見せてくれる。具体的な体験に差異があるにも関わらず、抽象概念的にはある種の共通の法則性をそれぞれ別の事柄の中に見出すためだ。(※田村先生がバレーを比喩に用いたのもその1つだと思う。)一流スポーツ選手と芸術家などの別のフィールドで活躍している者同士の対談の中で、互いに通じ合っている「共通の感覚」とはこういったものなのかもしれない。「1万時間の法則」なんかもこれに当たるのかもしれませんが、目的から逆算した、イメージに近づくための飽くなき修正の反復は、行為の実践者をその道のスペシャリストに押し上げていく。ただし、無作為に垂れ流してしまった1万時間はこれに該当しないように思う。この人達は、ただ時間を無作為に過ごしたために熟練度が上がらず、様々なことへの「不可能性」を語るようになってしまうことが多い。あくまで、目的を狙い続けた「ワンバウンドで球を拾う」行為からのみスペシャリストの道は拓ける。

 

studyhacker.net

また、田村先生は 最後にこう締めくくっている。

後になって「これはボール拾いをしまくったおかげ」と言うことも!

 アタックコースを読める。

みなさん、セレンディピティという言葉をご存知でしょうか。目的を真摯に追い続けると、当初の目的達成の有無に関わらず、行為に没頭している過程で本来の目的とは別の取得物(副産物)を手にすることがままあるということ。セッターは、相手のアタッカーの走り込む位置や角度から球筋を予測するだけでなく、味方のレシーブ→自分が上げるトスのイメージ→最後の最後まで誰に上げるか相手に悟らせない心理戦など、多様な資質・能力を求められるといいます。田村先生が兵庫県下で1.2を争う強豪のセッターだったことと、この球拾い体験の副産物である「コースを読む力」が結びついているかどうかは、いつか本人に聞いてみたいものです。また、人生体験として「おかげ!」となるのは、「若い頃の苦労は買ってでもしろ。」の言葉に通じるものがあります。今の努力は、未来の私を励ましてくれるもの。過去の自分の頑張りが今の私を支えている。そんなことも人生の喜びの1つかもしれません。

 

さて、今回は「仕事をゲーム化する」という観点からお話ししましたが、どうだったでしょうか?奇しくも今回の総会にて発表された各種数値やKPIの項目など、仕事をゲーム化していく上で必要な観点が沢山出てきたと思います。私自身、大きな学校組織改善に二度着手した経験がありますが、劇的に成果が変化していくまでの3年間の最初の1年に今年の立志は似ている様に感じます。今回の総会では、会員数状況から引いてきた数値なので、もしかしたら実態や先生方の感覚と異なる集計報告になってしまった部分があったかもしれませんが、

でも、あのような「数値を基にした事実や実態の検証」に着手できたのは、先生方の日頃の業務のお陰です。

役割こそ違えど、立志という神輿を担ぎ上げる担い手同士、切磋琢磨して頑張って行きましょう!

それでは、乱文・長文にも関わらず、お読みいただきありがとうございました!

 

文責:佐野