「やらなければいけないことを面白がってやること」

「業務を仕事に」
業務は会社から与えられるもの、仕事は作り出すもの

私たちは皆それぞれに「業務」を抱えている。

「業務」→会社から与えられた仕事内容。
「仕事」→自らの意思で考え出した能動的なもの。


「業務」はその言葉自体にどことなく「無機質」なイメージをもってしまう。
何となく「受動的」ですね。
やらされている感が強いように思う。

1日のうちの三分の一以上を占めているのが「仕事の時間」だ。
この時間がやらされているもので埋め尽くされているとしたら
・・・
少しギョッとしたりもする。


受動的な「業務」を何とか能動的な「仕事」にしたい。
そう感じる人もいると思う。

この「受動的な業務」を「能動的な仕事」
にするために、何か特別な才能が必要なのだろうか?


ここから少し自分の学生時代の話をしようと思う。

私は、当時、世間では名の通った強豪校でバレーをしていた。
新入生は①雑用②基礎トレーニング③壁パス④ボール拾い⑤見学⑥雑用
これが1日の練習メニューだ。(練習時間は平日が4、5時間で休日が10時間前後)
結構きついですよね・・。
合宿所での共同生活だったので、リラックスできる時間は学校の授業中だけだった。
毎日がとても憂鬱でやめたいとも思ったけれど、

バレーやめる=学校もやめることになってしまうし他に居場所がなかったこともあり、続けるしかなかった。

練習メニューのどれもが「サボろうと思えばサボれる」
しかし、ここはさすが伝統校、張り詰めた空気感。
目立ってしまう。ダメだ、サボれない。
今思えば、サボれないような仕組みになっていたようにも思う。
この練習メニューの④「ボール拾い」は、
一般的なそれのイメージとは少し違うかもしれない。
とにかく走って走って走りまくらないと追いつかないのです涙
中でも、「アタック練習」のボールひろいは最悪だ。
左に行ったかと思えば、右、前、後ろ。
どれだけやっても、ボールがなくならない。

もう、本当に嫌だった。
「楽がしたい」と心底思っていた。

ある日「ボールを取りに行って、腰を落として拾い上げる姿勢が一番キツイ」と言うことに気がついた。

「もしボールが転がっていってしまう前に、ワンバウンドでボールをキャッチできれば、しゃがんでボールを拾わなくて済むんじゃない?」

その日を境に、上級生のプレーを見学する際の視点が変わったことは今でも覚えている。
ただ漠然とプレーをながめ、ボールの行く先々を目で追っていたのが、
ボールを追うことはほとんどせずに、ただひたすら
一人一人の動きを観察したのだ。
「○○先輩はアンテナまでのびたトスに対してはストレートよりクロス打ちが好き」「助走のまえの立ち位置や、その角度によってアタックコースを変えている」「ネットに近いときはブロックアウトを狙っている」など、とにかくじっと観察だ。
これを続けながら、ボール拾いで確認もしてみた。
自分でコース予想を立てて、あらかじめ動いてみる。
ワンバウンドでキャッチ。
次も・・キャッチ。
おお!できるじゃないか!!

「よしオッケー」
「あれ?逆だったか」
「あと一歩なのに」

私はボール拾いに夢中になっていた。

当時は「少しでも楽がしたい!」と思っただけだ。
どうしたら「楽ができるか」を考え、それを実行してみただけで、
それ以外の何か特別なことはなかったと思う。
「腰を落としてボールを拾う」回数が減ったのは言うまでもない。
それよりも何よりも、私が嬉しかったのは
あの苦痛に満ちたボール拾いを
「楽しい!」と心底思えるようになったことだった。

ボールに振り回されない自分
自分の工夫した点が、見事にはまっていくあの感覚
「イヤだな」と思う時間が減って行く実感

これが最高だった。
最高に嬉しくて面白くて、もうたまらなかった。

後になって「これはボール拾いをしまくったおかげ」と言うことも!
アタックコースを読める。(が人生の役には立ってない)


この時以来、自分では「やらなければいけないこと」「つまらないこと」を
何とか工夫して「面白く」感じられるようにしたいと考えるようになった。


これってスポーツだから出来たことなんだろうか。


「業務」=「たまらなく嫌で振り回されていたボール拾い」
「仕事」=「楽をしたいが為に考え工夫したボール拾い」

としてみよう。

 

「業務」が会社から与えられた仕事内容であるのに対して「仕事」は目標達成をするために自らの意思で行う行動。

同じことが言えないだろうか?


業務をこなせば給与は支払われるけれど指示通りに業務を遂行するだけでは「仕事をした」と言えないのかも。

全ての仕事は、何かを創造したり建設したりする「クリエイティブな要素」を含んでいると思う。

受動的な「業務」を能動的な「仕事」に変える過程で
どんどん前のめりになっていく自分に気づいていく。

「やらなければいけないことを面白がってやること」のベースは
「しまくること」ではないだろうか。

今の私にとって

「ブログを使って発信すること」はまだ「業務」でしかない。
「仕事」のレベルに上げる為には「面白がってやること」が必要だ。



「アップしまくる」しかないのかしらん。

                                 
 



モチベーションの在り処は、私の意識の「現在地」

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前回に引き続き、

モチベーションというものが一体何であるのか。

そして、自分自身が抱くものであると同時に、

自分や周囲の環境にどのような効果をもたらすのか書いていきたいと思う。

 

前回の投稿を書き終えた時、

別件で電話していたGS福知山教室の森口先生に、

記事を読んで何を考えたのか聞いてみた。

 

すると、こんな答えが...。

「平易な語彙で読みやすいのに、論理が複雑に組まれていて、頭を使った。」

「内容が、対生徒や対社員と、双方向に展開されるので読解に頭を使います。」

「概要説明となる抽象的な内容と、具体例が交互に書かれており、読みやすかった。」

と。

 

ぐぬぬぬぬぬ〜!!!!!!!!!!!!!

 

論理の組み方や語彙のレベル調整まで、

ぜ〜んぶ読解されとるやんけ...。

 

悔しくなった私は、

内容に関しての視点や強く感じたことは???

と聞くと、

 

「タイトルに頭や気持ちが引っ張られちゃって、ちゃんと考えられていないので、もう一回よく読んで感想を書きます。」

 

と紳士的に答えてくれました。

 

LINEか何かでさらりと感想が届く程度のことだと思ったら、

早速翌日word形式でとんでもない文字量に乗せて彼の考察が送られてきた。

 

以下、転載。(あまりにも良かったので、本人に許可を頂きました。) 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「なぜ僕らは教育を生業とし、今ここで働いているのか」に寄せて

 タイトルの「なぜ僕らは教育を生業とし、今ここで働いているのか」を読んだときに、正直僕はドキッとした。僕個人に発信している内容なのかとさえ思った。このタイトルは最近、定期的に頭をめぐる疑問だからである。僕は、2019年8月21日付でこの株式会社立志に入社したため、この文章を書いている2021年8月20日で丸2年在籍していることになる。前職を3週間で辞めたことを考えると、かなり成長したように思う。しかしながら、タイトルを読んでドキッとした僕は根本的な部分ではあまり成長していないのではないかと悲しく思う。佐野先生から別件で電話をいただいた際に、ブログの感想を求められた。一通りは読んだものの、上手く答えることができなかった。今思うと、内容を咀嚼できていなかったのは、タイトルのインパクトが個人的に大きく、肝心な本文の内容について思考する余地がなかったのではないか思う。電話で伝えられなかった感想を文章という形で述べることにした。改めて読み直した上で、自身を振り返りながら内容について感じたことを述べようと思う。

 本文ではまずタイトルから連想されるモチベートについて、時代の変化に伴い、マズロー欲求段階説と似た形でモチベートの定義そのものも変わっていっているという説明がなされていた。ひょんなことから教室長を任せていただいてから半年ほど経ち、その過程で「当事者意識が高くなった」と佐野先生から評価していただくことが度々あったが、正直僕にはその評価を素直に受け止めることを阻害する「何とも言えないモヤモヤ」があった。が、ブログを見てその答えが分かった。僕はまだモチベーション2.0の人間であった。良くても2.5だと思う。僕が教室長を任せたいただいた過程は外的要因が大きかった。そこからの半年も、”初めての経験”という外的要因に対応していく中で大半が過ぎ去ったように思う。自身がモチベーション2.0の段階にいると思う要因は他にもある。自分自身が「なぜこの業界・会社に所属しているのか」という疑問から派生する悩みとして、「承認欲求」がある。これも、社会的な地位やステータスを他者と比較することから生まれる、マズローの欲求5段階説でいうところの下位の承認欲求であり、欠乏欲求だった。

 モチベーション2.0の先にある、モチベーション3.0やその先の4.0に到達するための鍵は「夢中」であることだ。これも僕が悩んでいる点である。大学受験時にはさほど苦と思うことなく毎日最低でも8時間は勉強をしていた。趣味でギターを高校から始め、狂ったように休日は8時間も同じ曲を何回も弾いていたが、最近はめっきり弾かなくなった。仕事も8時間という同じ時間行っているが、規定という外的要因に従っている部分が大きく、誰かに言われずともやっていた受験勉強や、ギターを弾く中で経過する8時間とでは性質・成果物も大きく異なる。本文の中では、この「夢中」になるための鍵として「専門性=変態性」が挙げられていた。自身の「専門性=変態性」をメタ的に認知・言語化し、それに基づいて行動していく。まさに、HRブレインの書き方指南のようだと感じた。理念や経営方針つまりは、株式会社立志という船に乗りつつ、その船員としてどのように貢献するかということだ。加えて、船を目的地に到達させるために航海士になるのか、船医になるのかという貢献する役割については大きく制限されていないことにも気づいた。自身が何を得意としていて、他者に勝っている部分なのか。その点を認知し、磨いていくことが生徒・保護者や地域により良いサービスを提供し、組織に貢献していくための鍵だ。生徒面談を事例に理論が展開されていたが、まずは自分自身との面談を行う必要がある。

 ブログの内容や、自身がここまで書いた内容に思い当たるところがあり、入社時に作成した作文を読み返してみた。「自身の質について」というタイトルの作文の中で、「喜びを与えること」が自身の価値観であると述べていた。自分自身で書いた文章であるため当然のことではあるが、「喜びを与えること」という価値観は納得性が高い。年齢により語彙や表現は変化するであろうが、根本的には変化しないように思う。人生における使命について振り返ったところで、あとは達成する手段としての「変態性」を把握することが必要である。本文では、今春の総会で受賞された4名の先生方の要素が挙げられていたが、面白いほどにその先生自身を表しているように思う。つまり、「自分を自分たらしめること」の中に「変態性」が隠れているのだ。森口裕矢という人間・今までの人生にタイトルをつけると何になるのか。言動や感情の変化がどのような価値観に基づき起こるのか。勉強や趣味に夢中であった理由や目的は何なのか。これらを振り返る中で、変態性の卵として「共感性」「法則性を見抜く」「効率化」を持っているように思う。自分自身の受け止め方と、それに伴う作用するベクトルが変わるため、言語表現は考え直す必要がある。上手くこれらの要素を日々の業務に編み込むことができれば夢中に行動し、結果も出ると想像ができる。就職してから2年という節目にこの文章を書いたことは、偶然のようには思えない。今日から、昨日までと少し異なる気持ちで仕事に向かえる予感がする。 

 なかなか、やるじゃなぁ〜い...♡

僕が、感心した以下6点を紹介し、それぞれ解釈と想いを添えたいと思います。

これも、社会的な地位やステータスを他者と比較することから生まれる、マズローの欲求5段階説でいうところの下位の承認欲求であり、欠乏欲求だった。

・自身の心理状態をメタ的に認識したこと。←非常にGoodですね。

・内的欲求であるものの、欠乏欲求である「承認欲求」を自ら認める自己開示力。 

 

モチベーション2.0の先にある、モチベーション3.0やその先の4.0に到達するための鍵は「夢中」であることだ。

仕事も8時間という同じ時間行っているが、規定という外的要因に従っている部分が大きく、誰かに言われずともやっていた受験勉強や、ギターを弾く中で経過する8時間とでは性質・成果物も大きく異なる。

・量的に同じでも質的に大きく異なることは、成果に差異が生じることを認識し、

 それを改善していこうと想いを新たにしたこと。

・「夢中」に勝るプロセスはないことを再認識したこと。

 

自身の「専門性=変態性」をメタ的に認知・言語化し、それに基づいて行動していく。まさに、HRブレインの書き方指南のようだと感じた。

そ〜うです!そ〜うなんです!まさにその通〜りなんです !※川平慈英

・HRBrainは、自分の人生ミッションを達成するためのモチベーション管理ツールです。※本田圭佑がCMしてたしね。っぽいですよね。

 

船を目的地に到達させるために航海士になるのか、船医になるのかという貢献する役割については大きく制限されていないことにも気づいた。自身が何を得意としていて、他者に勝っている部分なのか。その点を認知し、磨いていくことが生徒・保護者や地域により良いサービスを提供し、組織に貢献していくための鍵だ。生徒面談を事例に理論が展開されていたが、まずは自分自身との面談を行う必要がある。

そう、僕自身も最初は高校生の進捗管理スキルを買われ「代ゼミ」をある高校の生徒対象に販売しまくる目的で代表に声をかけられましたが、時流の影響も受け、「コロナ対応」「組織づくり」「構造改革」「広報のアップデート」「教室レイアウト改善」なんていう風に、当初求められた「役割」から大きく業務が変わりました。

仕事は、「自分と環境の相互で創造的に生み出すもの」なのかもしれません。

彼の言葉に、改めて自分を振り返ってしまいました。

 

森口裕矢という人間・今までの人生にタイトルをつけると何になるのか。言動や感情の変化がどのような価値観に基づき起こるのか。勉強や趣味に夢中であった理由や目的は何なのか。

・「人生にタイトルをつける 」という視点がいいね。人は必ず死んじゃうからね...。

・「何が君の幸せ?何をして喜ぶ?分からないまま終わる。そんなのはイヤだ!」ってアンパンマンマーチで歌ってたっけね。

 

変態性の卵として「共感性」「法則性を見抜く」「効率化」を持っているように思う。

これ、超大事な今回のテーマ!

自分の「変態性」の発見!

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変態性のかけ算がプロセス&結果の変化に繋がることは、前号にて記載しましたが、今回、森口先生の変態性の卵にどんな「Next One」をかけ合わせると化学変化が起きるのか。僕の視点で仮説を立ててみようと思います。

森口先生の変態性の卵、「共感性」「法則性を見抜く」「効率化」

これらの3つ自体、非常に大切な資質・能力なのですが、

これにある1つの能力をかけ合わせると能力の大爆発が起きます。

 それは、

「リスクを恐れず、一手目を自分で打つこと」=「発信力」です。

 

「共感性」×「発信力」

Ex.問い合わせ面談時

共感とともに、どのようにしたら学力が上がるのか、本気で提案&ポジティブな想いを発信することで、「この先生は本気で自分のことに共感してくれて、尚且つ具体的な方法まで教えてくれる!」と生徒や保護者は安心し、最初の信用を得ることができます。面談打率に影響しますよね。当然。

 

Ex.社員間のコミュニケーション

時には愚痴を吐きたくなることも...。しかし、愚痴に対する後ろ向きな共感は、前進はおろか、課題解決の芽すら摘んでしまいます。こんな時、相談してきた人に共感しながら、少しずつ目標に向かっていけるよう発信していくことで、状況は必ず好転します。↑特に、この手の優しさはともすると、「困っている人募集中マインド」になり、”他者に優しくできる豊かさ”という何の努力もしない優位性や充足感を得ることになります。これは中毒性が高いので、みんな安易な快楽に身を委ね、成長を阻害してしまいます。その人を前進させるような共感性と情報発信を心がけましょう。 

「法則性を見抜く」×「発信力」

Ex.業務全般(テスト分析・各種会議・マニュアル作成etc...)

自分自身だけで法則性に気づいても、これをシェアしなければ組織の共有財産になりません。とは言っても、ここは企業。他者を出し抜き自分が評価されるためにこういうことも必要だ!なんてのは昭和時代の競争です。グローバルかつテクノロジーの時代にこのようなことは言語道断!気づいたことをシェアしないのは、利権を握るようなもので、全体最適になりません。「このタイプの生徒はこのように応対しよう」とか、「各種業務の遂行における共通認識の作り方」など、法則性を見つけたら即「仮説」とし、「検証を重ね」ながら全体共有することで、会社の成長速度は二次関数的に向上します。ただし、体験談ベースの法則性にとどまらず、ファクトベースな法則性まで探ることが重要です。なぜなら、前者に陥ると無駄に会議が長くなり、生産性は著しく下がってしまうからです。

「効率化」×「発信力」

Ex.業務全般(上記+対人業務etc...)

生徒の成績を上げようと思った時に陥りやすいのが、個別対応の蟻地獄にハマることです。今回、夏期講習中に一定数自習来校率を保った教室は流石ですとしか言いようがありません。そうでない教室は「効率化」にヒントがあります。「自分じゃなければできないこと」は自分の自尊感情を簡単に埋めてくれます。しかし、生徒が本気で集中して学ぶ環境づくりや、本気で学ぶ生徒集団を育成することの方が効率もいいし、何より爆発力が違います。「真にゴールに結びつく、一本の筋道を描き出せるか。」これが教育におけるクリエイティビティですし、教室に勢いのある状態をもたらします。生徒の関係性を利用したり、集中する核となる生徒を生み出し、それらを複数連動させるような「場の効率化」が成果に繋がるでしょう。「自習環境をコントロールできるか」が教室長の資質を判断する最も大きな要素であることを、ここでお伝えしておきます。

 

このように、

それぞれ独立した3つの資質だけでは成果の最大化に繋がり辛いが、

たった1つの変態性「発信力」をかけ算するだけで、

3つの成果を生む「1石3鳥」状態が生まれる可能性があります。

専門性のかけ算の時代に、僕らは自身の変態性にどんな化学変化を起こすのでしょうか。

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森口先生が、こんなことも言っていました。

「書くことで、自分を整理することができて、自分を再確認できました。」と。

 

そして、

森口先生が、前号の感想を送ってくれたことで、

また僕がこのような記事を書くきっかけが生まれた事、感謝申し上げます。

 

こんなコミュニケーションも、

「これまでにない社内コミュニケーション」になりうると思います。

幾重にも重なる社内の創造的なコミュニケーションに繋がることを願っています。

 

最後に、

彼の「喜びを与えたい」というピュアなマインドセット

これを持ち続けることが一番大切なのかもしれませんね。

 

以上、佐野からお送りいたしました〜。

まった来週〜♪

 

 

なぜ僕らは教育を生業とし、今ここで働いているのか

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きっと、何らかのモチベートの源泉があるからだと思う。

生徒の成長や保護者からの感謝が代表的なものだと思うが、

果たして本当に、

それだけで僕たちは頑張ってきたのか。

そして、今後もこの職を続けていけるのだろうか。

 

今回は、その非常に抽象的な

「やる気」や「頑張り」というものに迫り、

その様相を明らかに、またその変化を捉えていくことで、

モチベーションの保ち方について書いていきたいと思います。

 

 

「やる気」の定義も時代と共に変わっている!? 

メディアアーティストで筑波大学教授の落合陽一氏が、

「21世紀はモチベーションの時代だ」と言っていました。

 

なぜなら、テクノロジーやシステムがどれほど発達しようが、

それらには「自らがこうしたい!」というモチベーションがないからだそうです。

 

一言にモチベーションといっても、

何やら得体の知れないやる気のようなものではなく、

モチベーションの形は時代を経る過程で変化し、その段階が生じてきたようです。

 

 

「モチベーション1.0」

<生きていくための対価としての賃金or対価>

人間が持つ最も原始的なやる気であり、「生理的動機付け」という。

「生きるためのやる気」といった動機付け。

Ex.「お腹が空いたからご飯を探しに行こう」「子孫を残すために子供を作ろう」など。

 

「モチベーション2.0」

<賃金の変形物(評価やステータスも含む)と言い得る対価>

アメと鞭による動機付けで、「外的動機付け」と言いう。

「外からの刺激により対象者を頑張らせる」

「高い報酬などのインセンティブ」といった動機付け。

Ex.「高いインセンティブがあるから」「上司に命令され、やらないと怒られるから」など。

 

「モチベーション3.0」

<仕事に夢中になっている状態、仕事を通した自己実現自体が対価となっている状態>

モチベーション3.0とは、2010年にダニエル・ピンク氏が提唱した動機づけ方法。

激動の時代を生き抜く上での、柔軟かつ強靭な行動を生み出すためのモチベーションで、「内発的動機付け」という。「自分の内側から湧き出るような動機付け」

Ex.「楽しいから頑張る」「世界の平和を守るために頑張る」「実力をつけたいから頑張る」など。

 

何やら、「マズロー欲求段階説」に似ていますね…。

マズロー欲求段階説」はこちらから ↓ ↓ ↓

マズローの欲求5段階説とは? 知っておくべき心理の法則 - STUDY HACKER|これからの学びを考える、勉強法のハッキングメディア

 

これらのモチベーションの段階は、

日本の時代変化も表していると思います。

 

1.0=戦後世代〜高度経済成長

(食べていくのに必死だった時代)

 

2.0=高度経済成長〜バブル期世代

(物やステータスを欲するようになった時代)

 

3.0=ロスジェネ〜今の世代

(変化を求められるスピード感の早い時代)

※ロスジェネ:ロストジェネレーションの略(1970〜1982年に生まれた世代で就職氷河期に就活していた世代)

 

※それぞれの年齢層の知人を想像してみてください。

ちょっと年代別に価値観が異なっている感じがしませんか?

これが所謂「ジェネレーションギャップ」というやつです。

モチベーションにもジェネレーションギャップがあったんですね。

 

そして、今

3.0を内包しながら、4.0時代に差し掛かっています。

 

これに関してはまだ定義がなされていないので、

みなさん自身で考えてみて欲しいです。

 

 

僕の考える「モチベーション4.0」時代とは、

「真に自由に生きる」ための動機付け。

モチベーションを自分で自由に「カスタマイズ&ブレンド」していく時代ということです。

 

自分が納得感や満足感を得られるように、

またそれと同時に、自身が所属する組織にプラスなことを編み込むように、

自分のモチベーションをしっかりとカスタマイズしていくこと。

それが「真に自由に、自分を生きる」ということです。

 

個人主義に傾倒している現代を象徴しているかと思います。

 

ここで大切なことは、「編み込むこと」です。

1つの価値基準だけで生きていくにはあまりにも不安定な時代だからです。

個人と組織における自身を分離させてしまうのではなく、

統合しながら両者を成立させ得るモチベーションの持ち方が

丁度「今」の時代のモチベートの在り方だと考えています。

 

 

一口に、「やる気」「モチベーション」と言っても

それぞれの時代における定義や様相が異なっていますね。

そして、今の時代のモチベートを分かっていないと、

生徒や保護者への適切な声かけや伴奏が難しくなってしまうので、

覚えていきましょう。

 

現に、生徒との進路面談等でこのような場面に遭遇していることと思います。

「非常に学力が高いのに、実業系(調理食品系や工業系)の高校を志望する生徒」

・地元への愛が深く、地元の食材を使った料理店を開き盛り上げていきたい!とか、

・お婆ちゃんが入所している介護施設の食事があまりに美味しくなさそうで、それを解決したい!とか、

 

その為に自分が料理の道に進みたいです!

みたいな生徒だった場合、どうしますか?

 

ここで問題になるのが、

生徒自身のモチベーションが、2.0的マインドなのか、3.0的マインドなのかによって、その後の指導が大きく左右されます。

 

2.0的マインドとは、

その職業に就くことだけが目標となっており、

自分がどのような働き方や生き方をしているのか考えていない場合です。

夢至上主義の進路は、ともすると、

高度経済成長〜バブル期(物やステータスを欲する時代)の感覚と似通っており、

今の社会に出てから非常に困難な道を歩むことに繋がりかねません。

 

また、

「生徒の志望を基に伴走し指導する」

「更なる可能性を模索するために想いは大切にしつつも都市部への進学を推奨する」

のどちらのスタンスを取るのかも問題になってきます。

 

果たしてどちらが正解なのでしょうか。

 

未だ旧態依然とした価値観で、

「なんとなく周りがそう言っているから」

「親が望むから」

「この地域ではそれがステータスだから」

という価値観の場合は、後者で指導していきたいし、

 

自分の可能性や選択肢が狭まってしまうリスクを負いながらも、

今できる「リアリティ」を大切に生きていくという価値観を重んじている生徒であれば、前者の指導になっていくでしょう。

 

答えは、1つではありません。

 

ただし、前提を言えば、

後者を推奨し、

それをどのように納得性高く生徒と保護者にプレゼンできるか。である。

 

なぜなら、我々は教育産業に従事する営利法人であり、

高校での継続や、大学入試に向かっていかないと、売り上げが減少してしまいます。

売り上げ減少は、社員への報酬へ直結し、

これを果たした状態でなければ、1.0〜2.0の時代へ逆戻りしてしまうからです。

 

はわわわわ.....。

早速矛盾が生じてしまいました。

こんな時、どのように我々は生徒を教え導き、

かつ、自身の成長と組織の成長を両立させるのでしょうか。

 

①その生徒が「どんな規模で」「どのような事を」「どんな風に」実現したいのかヒアリングすること。

②最終的な人生目標に必要なルートを複数提示し、それに必要な「投資」と「回収」と「リスク」を説明すること。

 

今回の場合であれば、

残酷な言い方をすると下記の問題に直面する。

・飲食店の経営は非常に難しく、三年以内の廃業率が70%であること。

・地元への経済効果や活性化まで夢を見ていたら、そもそも方向性(地方創生系の政策を考える業務となり)が違うこと。

・一調理師に施設全体の調理に関する予算決定や方針の変更をする権限が与えられないこと。

・調理まで高品質に提供する事業所が地元にあるのか。都市部の方が多い。

など。

 

生徒面談を例に挙げてみましたが、

夢や目標を1つ掲げるのは美しいですが、

その状態や、並行してやってくる諸問題を解決する事まで考えないと

理想の追求は難しいことが分かります。

 

最終的なゴールは1つでもいい。

しかし、登り方のルートや、努力するパターンは複数存在し、

そのためのモチベーションもそれぞれ切り分けてカスタムすることが必要になります。

 

決して戦略的に全てを行うことが美徳と言っている訳ではなく、

行為自体の純粋性(調理して喜んでもらうこと自体に夢中になり満足できる)があれば、

あらゆる困難を乗り越えていくだろうし、

そうでない場合は、自分自身が何によって満足たらしめるのか要素分解し、

それぞれの要素のバランスをカスタムしていくことが必要になるでしょう。

 

僕を含め、現代の多くの人が感じているであろう「自己への不完全感」は、

所詮は集団組織の中での「序列」や「優劣」の意識から生まれているに過ぎないものであり、

それらから自らを解放して生きていく為には、

 

①現状を咀嚼する「言語力」「論理性」「読解力」と、

②自らを動かし続けるための、モチベートの源泉を認識する「メタ的」視点

 

が必要になります。

 

 

モチベーション一つ取ってみても、

前提となる知識習得や自己分析など、いろいろしなくてはなりませんね…。泣

 

嘆いても仕方がないので、進んでいくための話をします。

 

 

「高い専門性=変態性」が現状を突き破る武器になる。

今の時代求められていることは、「高い専門性」の掛け算です。

「高い専門性」×「高い専門性」がアイデアを生み出し、

現状をツマラナクさせている諸問題を解決していきます。

 

専門性は、シンプルに言うと「自分にしかできないこと」です。

どんなに小さなことでも良いので、自分にしかできないことを見つけ、

 

それを深めていくことが創造的に人生を生きていくために重要だと落合氏は説いています。

 

さらに、その専門性の幅が狭すぎると失敗の確率が高くなるため、

その幅をある程度広く取った「変態性」が必要だとも。

 

変態性というと、誤解を招きかねないですが、

代表がよく言葉にする「狂気」や「熱狂」「執念」のようなものと捉えると、誤解がなく伝わるのではないでしょうか。

 

組織の変革を起こすためには、

何人もの変態が必要であり、

その一人一人が自分にとって気になる

「小さな解決したい問題」を見定め、

深く掘り下げていくことがすべての始まりとなるのです。

 

今年度の春の総会で昨年度の表彰があったのは記憶に新しいと思います。

受賞者の先生方は、それぞれ顧客から求められる塾の先生としての専門性である「教務」と、もう一つの変態性を帯びた行動(それぞれ異なる専門性)を掛け合わせ、成果を出しました。

 

河田先生は生徒・保護者への「共感性」と「言語表現&提案」

森垣先生は「社内随一のエクセル使い」と「任務遂行力」

吉岡先生は「紳士的な接遇」と「圧倒的な行動量」

牧先生は、圧倒的な「コミュニケーション量」と「熱意」

 

多くの内容に当てはまることですが、

自分の価値を認める強い「信念」がモチベーションを生み出し、

それらを組織の「理念やビジョンの実現」と編み込んでいくことが、

現状を打破していきます。

 

今回は、モチベーションと、変態性(専門性)について書いてみましたがどうだったでしょうか。

上記4人が他者との比較から来る優劣で受賞したのではありません。

行為に没頭する変態性を追求したからでしょう。

 

そして、それぞれ一人ひとりの先生方にも同様に、

この変態性が必ず備わっています。

 

個人の価値観にのみ紐づいた変態性は

組織においてはマイナスになりますが、

 

理念の実現や顧客のためになることに繋がっていく

個人が持つ変態性の追求は

必ず自分を大きく変革させる武器になっていきます。

 

塾人として、「教務力」という専門性の追求は継続し、

もう一つの武器になり得る変態性「Next One」を探していきましょう! 

 

「Feel like a first time!」

 

「自分が絶対にしたい!と思ったことは「絶対」にしましょう!」

 

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以上、幹部ブログ第一弾は佐野からお送りいたしました。

不定期ですが、濃いメッセージを配信していきますので、

みなさん是非読んで下さい。

いつか、社員報なる社内向け社員ブログをスタートしますので。笑

 

幹部ブログの開設です☆

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幹部ブログを始めます!

皆さま、突然なんぞ???とお思いのことでしょう。

我々幹部は、

理念に基づき、経営計画やHR Brainを通し、

社員一人一人に対して、

やれ「言語化」だの、やれ「数値化」だの、散々求めているのに、

我々自身がそれをせんのは、フェアじゃないやんけ!!!!

という代表からの度重なるツッコミ(叱責?)を受け、

妙に納得した我々は

ともかく、ブログの開設したろやないけ!

と想いを熱くしたのでありました...。

 

ってな流れで、幹部ブログが始まるのですが、

以下の注意点を読み、趣旨を踏まえた上で本ブログをお楽しみください...。

※1(決して代表に対する反骨精神で始めたわけではないので悪しからず...)

※2(加えて、言語化は避けては通れない命題であるため、我々も逃げ出しません。)

※3(幹部自身、理念の実現にチャレンジする姿勢と言葉を表現していきます。)

 

本ブログにおいて発信する情報としては以下のようなことを考えています。

 

・理念に基づいた教室運営の各場面を紹介。

・教育の時勢の変化にどのように対応していくのか。

・社員の変化成長と、それに対する幹部の伴走の事例紹介。

・僕たち幹部の考えや、知見に関しての説明や紹介。

 

時には、熱い想いを。

時には、社員の変化成長を。

時には、ポエム?エッセイ?のような自身の考えを綴っていきます。

 

目的のないアウトプットは継続せず、

目的のないインプットは忘れてしまう。

 

だからこそ、

 

「変化を生み出し、成長の感動をメイキングする」

 

この目的を果たすために、

会社は変わり続けます。

 

会社が変わり続けるためにも

我々が言葉にします。

 

皆さんと理想的な業務の在り方を追求し、

出店エリアの子供たちが巣立っていく場を醸成するためにも、

皆さんからのフィードバックを求めています。

感想や、課題解決に向けたアイデアなど、

ドシドシお待ちしております。

 

インタラクティブな(双方向な)コミュニケーションによって

共に会社の変革期に一石投じて参りましょう!

 

2021年8月17日 

株式会社 立志 幹部一同